3月に入りました。たんぽぽさんの卒園、他のクラスは進級が近づいてきました。特に卒園を控えるたんぽぽさんたちは小学校という新しい歩みをはじめることになります。今月の聖書の言葉は「主が一歩一歩を備えてくださる」ということで、歩くということが取り上げられています。
子どもは1歳を過ぎたあたりから歩き出しますね。大きな頭を左右に振って、力強く、そして可愛らしく、世界の広がりを楽しんでいるかのようです。けれども、その姿は見ていてかわいいだけではありません。たどたどしく、そして、危なっかしい場面がしょっちゅうあります。大人である私は、よちよち歩きの霊泉こども園のはとさんの子どもたちと比べたら、だいぶ上手に歩けているはずです。けれども、「人生をどのように歩いているか」ということに関しては、案外、はとさんたちと同じようなたどたどしい危なっかしい歩みをしているのではないか、と思います。神さまの目には、見ていてハラハラする、歩き方のなっていない者として私は映っているんじゃないでしょうか。
人生という道の歩き方、その歩き方の上手い、下手というのは、世間でいう成功とか勝ち組とか言われる歩き方についてのものではありません。3月の聖書の言葉は、成功も失敗も関係なく、神さまは一人ひとりの一歩一歩そのものを応援している、と言うんですね。子どもたちだけではありません。保護者の皆様の一歩一歩も応援しています。
年度末になると、私は礼拝のお話の中でよく「あしあと」という詩を紹介します。このような内容の詩です。
-暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映しだされていた。どの光景にも、砂の上にふたりの足跡が残されていたが、これまでの人生の最後の光景が映し出された時、そこにはひとつの足跡しかなかった。それはわたしの人生で一番つらく、悲しい時だった。わたしはイエスさまにお尋ねした。「主よ、どんな時にも一緒に歩んでくださると約束されたのに、わたしの人生の一番つらいとき、一人のあしあとしかなかった。なぜ、あのとき一緒に歩いてくださらなかったのか。」そのときイエスさまは答えた。「あなたの苦しみの時、あしあとが一つだったのはわたしがあなたを背負っていたからだ。」-
あなたの一歩一歩を応援してくれるだけではありません。つらく苦しい時こそ、イエスさまがあなたと共に歩んでくれるんです。
園長 山田原野


