今月の聖書の言葉は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」です。好きな聖書の言葉として上げるクリスチャンもたくさんいます。しかしその一方で、なんと難しい勧めだろうとも思わされます。
乱暴な運転のドライバーに出会う。しかし、相手は謝るわけでもない。ファミリーレストランに入る。後から注文した客のものは次々と来たのに、自分のものは来ない。しばらくして店員にその旨伝えると、多分忘れていたんでしょう、注文したものを運んでくる。しかし、「申し訳ありませんでした。」の一言もない。このようなことが、日常茶飯事で起きるわけです。喜ばしくないどころか腹立たしい。いつも喜んでいるのは理想かもしれないけれど、現実は違う。そのように思ってしまうのではないでしょうか。
このような時、「イエスさまは私のこの状況を知っているのだろうか?」と考えてみましょう。知っているに違いありません。そして、「小さなことで腹を立てるようなこの私を、見捨てずに受け入れてくださっているのか?」と考えてみましょう、これも受け入れてくださっているに違いありません。なぜなら、こんな私のためにイエス様は十字架にかかってくださったからです。そのように、イエスさまのことを思うと、次第に心が落ち着きます。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」というのは、イエスさまによって喜び、祈り、感謝するということです。
礼拝の時に子どもたちとよく歌っている「いっしょにうたおう」というさんびかの一節を紹介しましょう。
きもちがつらくなったら さけぼうよイエスさまに
なんでもしってるイエスさま すぐにたすけてくれる
私たちは苦しみをイエスさまに訴えることができるんです。それで「けしからんやつだ」と怒ったりはしません。イエスさまは助け、祝福へと変えてくださるんです。祝福が待っていると思えると、腹立たしい毎日が違って見えてくることがあります。その時「いつも喜んでいなさい」を祝福の言葉として聞くことができるはすです。
園長 山田原野