先日、実習に来て下さったHさんの日誌の中に、次のような一文があり感銘を受けました。
電車を描きたいという子がいたので、何か見本となるようなものはないか子どもと一緒に探して見つけ、見本を見ながら絵を描く姿も見られ、何かを見ながら模倣し、絵を描く力が育っていると感じました。
「電車を描きたい」という願いを感じ取り、その願い(種)が花開くように、「一緒に」なって見本を探します。そして無事見つけると、半歩そこから下がり、その子が見本を見ながら描く姿に、その子の成長=育ちを見出すのです。まさに保育者が日々なすべき関わりだと感じました。
今年度は、実習生が多く来て下さっています。子どもたちは大喜びなのですが、受け持つクラス担任は細やかな指導や振り返り、日誌へのコメントなどのため、どうしても負担になってしまいます。けれども、実習生を受け入れることによって、子どもたちへの熱い思いや姿勢を、こちらも再確認させられるのです。また、10年前・20年前に比べると、養成校で学ぶ保育観・子ども観にも新しい知見が加わり、実習生を通して、新たな学びも与えられることを実感しています。
キリスト者でもあった津守真という著名な保育学者が次のように言っています。
私は子どもが自分でし始めたことを大切にする。かたわらで経過を見る。それを生かして私も何かをする。
(略)天国のよい種を育てるのには、子どもが始めたことをまず大事にし、肯定し、それを共に味わい、一緒に生きる、それが育つ場である。
めぐみっこ一人ひとりに与えられている「天国のよい種」が、すくすくと育つために、肯定し・味わい・一緒に生きていきたいと願っています。