きりん組お泊り保育も無事に終わりホッとしているところです。自主登園などのご協力ありがとうございます。
きりん組保護者の方より、週開けお手紙をいただきました。そこにこんな一文が綴られていました。
「〇〇は少しおねえちゃんになって帰ってきたようです」
とても嬉しかったです。なかなか保護者の方たちと、子どもたちの育ちを共有することが出来ない中で、分かち合う喜びを再確認しました。
子どもの育ちは「らせん階段」だとよく言われます。同じように見えることをグルグルと繰り返す中で、少しずつ 少しずつ育っていくと。 けれどもどうでしょうか?
家庭でも園でも、日々子どもたちの「同じように見えること」ばかりなため、中々「育ち」には気付かないのが現実ではないでしょうか。
井桁容子先生(コドモノミカタ代表)が、ある講演で「子どもへのまなざし」について、「見る」と「観る」は違うことを指摘され、それぞれを次のように定義されました。
「見る」とは、目にものが見える働きのこと。
「観る」とは、目に見えないものを見出すこと。
全身全霊を総動員して物事の核心を捉えるためにみること。
「私たちは目の前の子どもたちを単に見てしまっていないか? 目には見えない所に確かにある子どもたちの輝き、<いのち>を見出そうと、全身全霊を総動員しているか? 子どもへのまなざしが「観る」になっていった時に、保育が変わっていく」
子どもたちの「らせん階段」をただ見るのではなく、深く観るキリスト教保育となっていくことを心掛けていきたいと願っています。