「キリスト教保育とは『神育て我ら仕える』です」
「キリスト教保育はそもそもインクルーシブであり、インクルーシブではない保育はキリスト教保育ではありません」
4月23日に、園内研修を無事に行うことが出来ました。預かりなどご協力いただきありがとうございます。「キリスト教園におけるインクルーシブ保育」というテーマで、川内・のぞみ幼稚園の考え方や実践を分かち合っていただき、とても参考になるものばかりでした。早速アドバイスを日々の活動に取り入れています。研修報告に関しては、次号の『みんなかがやく』に譲りますが、特に印象に残った二つの言葉が冒頭にあげたものです。
幼児教育における子ども観には、大きく2つあります。
①「子どもは未熟な存在で、大人が一から知識・経験を与えることによって育つ」
②「子どもにはそもそも『育つ力』があり、自ら学ぶことが出来る。大人は子どもが抱いた探究心に寄り添っていく」
①と②が目指す子ども観はまったく逆方向です。日本では主に①の幼児教育を行ってきました。各ご家庭(我が家も含め…^^;)でも、ついつい親が一方的に子どもたちに「教える」「与える」という場面が多いのではないでしょうか。
けれども、めぐみ幼稚園では、②の子ども観に立ちたいと願っています。子どもは決して「未熟ではない」し、むしろ「自ら育つ力に満ちている」と。
なぜなら私たち保育者(大人)はあくまで子どもたちに「仕える(寄り添う)」存在であり、育てて下さるのは神さまだからです。そして神さまは一人ひとりに「自ら育とうとする力」を与えて下さっているからです。
そんな原点を、研修を通して改めて振り返ることが出来ました。