12月に入り、子どもたちのワクワク感が少しずつ高まってきていることを感じています。そのワクワクの先にあるものは、もちろん「クリスマスプレゼント」。けれども、神さまからのプレゼントは、「もの」ではなく「救い主イエスという光」でした。
それは太陽のように強くまぶしい光ではなく、暗闇の中で輝くろうそくのような光でした。クリスマスとは、CMやモールなどにあるような、明るくきらびやかに過ごすだけの時ではないのです。
私たちは普段、この社会に暗闇があることを知識としては知っていても、どこか感情をまひさせて「スルー」しているのではないでしょうか。
7月に「荒尾市子どもの生活に関する実態調査」の報告書が公開されました。決して楽観視出来るものではありませんでした。例えば、「経済的理由で医療機関を受診できなかった」と答えた世帯が5.3%であり、現在の児童生徒数にその数字を当てはめると約200名にもなるそうです。
先日、小中の先生たちとお話しをしていたら、朝食がなくお腹を空かせながら登校してくる子どもたちがいることを伺いました。
この荒尾にも厳しい環境に置かれている子どもたちがいることを覚えましょう。
荒尾だけではありません。熊本・九州・日本・アジア・世界に目を向けた時、厳しい環境に置かれている子どもたちが沢山いることに気付かされます。
しかし、そのような厳しい環境に、暗闇に、赤ちゃんイエスは産まれたのです。神さまは、「すでに」「ずっと」その暗闇の只中にイエスという「あたたかい光」を与えて下さっています。孤立ではなく繋がりの愛の中で、私たちも歩んでいきたいと願っています。