キリスト教保育連盟の研修で、潮谷義子先生の講演を伺いました。潮谷先生は2000年から2期8年にわたって熊本県知事をされましたが、ルーテル教会のクリスチャンでもあります。27年間キリスト教乳児園で0~3歳児の保育にも携わりました。
先生の講演を通して学んだ多くのことから、数点に絞ってお届けします。
◯保護者・保育者という大人
安全・安心が後退しているなかで、「子育ての価値観」が変わってきている。「お尻をふけないのに、ピアノや英語に通わせるのはどうなのか」と感じることもある。保育は保護者の願望へのサービスではなく、何よりも子どもたち一人ひとりの創造力・探索心・想像力を引き出し育む場。
ルソーが「子どもは偉大な模倣者。模倣するに値する大人に出会わなかったら、子どもは大人になれない」と言っている。「模倣するに値する大人」へと自分たちを律することが大切。
◯聖句から
聖書の中に、保育・子育てのエッセンスが詰まっている。
「愛がなければ無に等しい」(Iコリ13:2)
特に乳幼児期において、具体的な「愛」着形成があって初めて探索(冒険やいたずら)などの遊びが始まり、育ちへと結びついていく。何よりも「愛」がなければならない。
「(神は)永遠を思う心を人に与えられる」(コヘ3:11)
シュバイツァーが「私たちは生きようとする命に取り囲まれている命だ」と言い遺したが、この視点に立ちつつ、これからの地球を守っていくためには「永遠を思う心」が大切。そのために、各園でキリスト教を子ども達が、先生達がどれだけ呼吸しているだろうか。
「命の重みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい」(Iペト3:7)
<いのち>を横で比べると、どうしても出来る/出来ないになってしまう。そうではなく、「出来る」を「人のために出来る」へ。
一人ひとりの子どもたちの<いのち>に頭を垂れることを大切にしよう。