有明海のほとり便り no.63

5月に行われた九州教区総会では、総会に先立って議員研修会が行われました。西中国教区よりO議長を講師として招き、「教団伝道推進基本方針の道」と題して行われました。いま教団では大きな機構改革が議論されています。それに対して、O先生のおられる西中国教区内の機構改革は、次のような姿勢で行おうとされています。

①西中国教区内での機構改正は、次のMとEの緊張関係という前提に立っている。「Mission(宣教=伝道 ※等号記号!)はEconomy(運営)より優先される」(ルカ6:33、マコ14:38)。戦時下の教会は、維持(E)を宣教(M)より優先してしまった。営利(E)を目的とした会社と違い、教会には宣教(M)というより重要な使命がある。

②教団の伝道推進基本方針と機構改定案は、「2020年問題」とされる財政危機認識(E)を根拠とするものであり、宣教(M)の優先が見失われている。ある意味で、死に対する恐怖が前提とされ、復活信仰が揺らいでいる。

非常に示唆に富む指摘であり、九州教区の姿勢とも共鳴していました。

さて、私が教団の機構改革案で気になるのは、教団事務局で働かれる職員の方たちの労働環境です。各会議や委員会などをまとめて効率よくすることが構想されていますが、職員の方たちの職務内容に大きな影響を与えます。私は一昨年まで、教団事務局から仙台に派遣されていました。職員の方たちの尽力にいつも敬服していました。その職員の方たちの信仰の躓きとなったり、権利が阻害されるようなことがないようにと願っています。   M.S.

有明海のほとり便り no.62

パレスチナ・ガザ地区で起こっている出来事に心を痛めています。パレスチナ難民の帰還を求める抗議行動「帰還の行進」が続く中、ガザとイスラエルを隔てる境界線付近ではデモの参加者がイスラエル軍に銃撃されています。

そのような中で大切な働きをしている「国境なき医師団」の佐藤真史(しんじ※同じ漢字名にびっくり!)看護師が「足を撃たれた10歳の少年が手術中、涙を流してコーランを唱えていたのが印象に残っている」と、報告されています。

また、私の敬愛するキリスト者たちが、「アハリー・アラブ病院を支援する会」を通して献金を呼びかけています。「アハリ―・アラブ病院」は聖公会の病院で、ガザ地区にあるパレスチナ人の自主運営による唯一の病院でもあります。病院責任者のスハイラさんはこう呼びかけています。

「もともとエルサレム周辺は、そこを聖地とするアラブ人、ユダヤ人、そしてクリスチャンが仲良く暮らしていた場所。しかし、いつの間にかその聖地をめぐって血を流す戦いが始まり、現在に至ります。聖地のために命を落としたり犠牲になったりする人がいることをイエス様は喜んでいらっしゃるでしょうか。祈ること、そして、少しでも現状を知ってほしい

宗教・出自・国籍・肌の色などは一切関係なく、イエスさまはすべての子どもたちを「神の子」として招きました。暴力によって涙する子どもたちが、一日も早く癒やされ解放されることを祈りましょう。そして、小さなことでも出来ることを模索してきたいと願っています。    M.S.

有明海のほとり便り no.61

昨日、キリスト教保育連盟春季保育者研修会が錦ヶ丘教会でありました。午前中はK牧師が「保育の心~わたしたちがゆずれないもの~」と題して講演されました。人間が人間を教育することは本当に難しい、最終的には神さまが育ててくださるという「謙遜の心」が、キリスト教保育において大切なことを学ばされました。また、キリスト教保育は「上からの指導」(強制)ではなく、「寄り添う指導」(自発性)を指向するものなのだと。

関学アメフト部小野ディレクターの記者会見(5/26)での発言も紹介されました。

「闘志は勝つことへの意欲だと思いますし、それは外から言われて大きくなるものではないと思っています。自分たちの心の中から内発的に出てくるものが一番大事ですし、それが選手の成長を育てるものです。その一番根源にあるのは、『フットボールが面白い、楽しい』と思える気持ちです」

「我々がコーチとして一番大事なのは、選手の中に芽生える楽しいという気持ち、これは『ロウソクの火』みたいなもので、吹きすぎると消えてしまいますし、大事に、少しずつ大きくしないといけない。そっと火を大きくするような言葉も大事でしょう。内発的に出てくるものをどう育てるかが、コーチにとって一番難しい仕事だという風に思っています」

小野コーチがアメフト指導に対して、とても謙遜な姿勢を持っていることに気付かされます。関学アメフト部では大事な試合の前に、チャプレンが聖書を読み、祈りを献げるそうです。キリスト教教育の賜物が活かされていると感じました。

有明海のほとり便り no.60

礼拝そして理事会・評議員会準備の合間を縫って、家族で「熊本市子ども文化会館」へ行ってきました。天気はあいにくの雨時々曇り。こういう日に家族でどこに出かけたらいいか、いつも悩みます。絆奈さんと二人でネットを駆使してようやく見つけたのが、熊本城の隣にある子ども文化会館でした。ただし、ホームページを見るだけではイマイチ様子を想像することが難しく、心配しつつ向かいました。

約一時間運転して到着してみると…、子どもたちは一目散に自分の興味がある時に駆け出し、プラバン作りやパソコンコーナーへ。スタッフの方たちも、皆さんとても温かく、子どもたちの愛情を注いでいるのがよく分かりました。あっという間に閉館時間を迎え、心配は杞憂でした。インターネットの情報に頼りすぎている自分自身に反省しつつ、やはり足を実際に向けて、直接出会う大切さを再確認しました。

荒尾教会としても、みんなで出かけてみたい所が沢山あります。例えば、九州教区と在日大韓教会が共働して、今も毎週御船町の仮設住宅で「エルピスくまもと」カフェをやっていますが、そこにボランティアに行くこと。あるいは、車で10分ちょっとの所にある大牟田正山町教会と合同野外礼拝(?)。(ちなみに合同CS遠足はすぐにでも実現出来そうなので、夏休み前までに一度企画したいと願っています)。隠れキリシタン縁の地を訪問など…。

ぜひ皆さんからの声をお待ちしています!     M.S.

有明海のほとり便り no.59

K先生は隠退教師として、隈府教会の伝道協力のみならず、今年度から無牧となった武蔵ヶ丘教会の礼拝にも協力されておられます。私自身は荒尾に赴任してから年数回の地区教師部委員会でお会いしますが、お話しを伺うたびに、K先生の熱意とバイタリティに感銘を受けています。ある牧師はK先生を「熊本のパウロ」と敬愛の念を込めて(こっそり)呼んでいるくらいです。K先生に初めてお会いする方、久しぶりに再会される方、それぞれに豊かな礼拝と懇談のひと時になることをお祈りしています。また、K先生の働きがさらに祝され、ご健康が守られることをお祈りしましょう。

今回、私が結婚式の司式をするのは、被災者支援センター・エマオで出会った二人です。私が2012年春に出会った頃、二人はまだ桜美林大学(東京)の大学生でした。Tさんは、大学を半年休学し一緒にエマオのスタッフとして働きました。Rさんは、何度もワークに参加してくれた「ヘビーリピーター」の一人でした。二人がボランティアに来た時には、よく我が家に招きました。確かに二人が結婚式の際には私に司式を頼みたいと言ってはいたのですが、本当にこうなるとは予想だにしませんでした。式を挙げる長原教会のO牧師も、エマオでコーディネーターとして3ヶ月間代田教会から派遣され働かれました。どうも集まるのは、親族を除いたらほとんどがエマオ関係者ということで、再会を家族みんなで楽しみにしています。

東日本大震災という深い傷を通して与えられた二人の結婚に、神さまの祝福が溢れ満ちることをお祈り下さい。

有明海のほとり便り no.58

毎年行われる教区総会には、教団より問安師という形で責任ある教師が来られます。教団として進もうとしている道のりについて分かち合われるのですが、いま大きく取り上げられているのは、「教団機構改定案」です。今回配布された教団常議員による「骨子」によると信徒の高齢化にともなう減少により、近い将来、教団運営に深刻なダメージが来るのは明らか(約2億5千万円の年間予算が10年後には約2億円へ)であり、教団総会の持ち方、事務局体制の抜本的な改革、伝道推進献金の実施などが提案されています。

この「機構改定案」に対して、U教区議長(大牟田正山町教会)は次のような批判をされています。

現今教団の数的・財的窮状、及び近い将来に於ける財政破綻への強い懸念が発議の根本として述べられています。そうすると、この様な不安解消(=組織体としての教会の自己都合)の為に伝道せねばならぬという論理にならざるを得ないのであって、既に制定されたものとは云え、この点に強い違和感を抱かざるを得ません。伝道とは、我が内にとどめ難い福音の喜びが溢れ出るところに為されるものであって、それ以外の何物であろう筈も無いからです。

これは教団運営だけでなく、私たちの荒尾教会運営に関しても言えることではないでしょうか。荒尾教会が目指す伝道・宣教とは、組織維持のためになされるものではなく、なによりもまず、「我が内にとどめ難い福音の喜びが溢れ出るところに為されるもの」でありたいと願っています。

有明海のほとり便り no.57

5月1日から3日にかけて開かれた、九州教区総会に出席しました。私自身にとっては2回目。総会で諮られる内容自体は、どれも重要かつ深いのですが、休憩や夜の懇談会などでは、どこか祝祭的な雰囲気があり楽しいひと時でした。

議案の中に、「天皇の代替わりにともなって行われる、神道儀礼に則った一連の儀式、ことに大嘗祭に反対し、取り組みを進める」がありました。2019年に予定されている天皇の代替わり、神道に基づいた即位のための一連の様式、天皇が「神」になるとされる大嘗祭に対して反対するためであり、可決されました。

1.天皇の代替わり、ことに大嘗祭に際し、九州教区各教会・伝道所に対して取り組みを呼びかける九州教区議長の談話を公表する。

1.日本基督教団常議員会に対して、大嘗祭に反対する日本基督教団総会議長声明を公表するよう働きかける。

1.天皇の代替わり、大嘗祭を主題とした九州教区「天皇制問題学習会」を開催する。

1.各地区での取り組みを推進する。

1.取り組み報告書を作成する。

私たち日本社会に生きるキリスト者にとって天皇制は根が深い問題です。最も大きな問題点は、神ならぬものを神とする偶像崇拝を国家が強制している点にあると思います。また、イエス・キリストのみを主と告白する私たちが、戦時中は天皇も同時に崇めた歴史も覚えなければなりません。

これだけ天皇が「当たり前」の存在とされている時代ですが、荒尾教会としても教区と繋がりつつ、何らかの取り組みをしていきたいと願っています。

有明海のほとり便り no.56

朝日新聞では鷲田清一さんという哲学者が『折々のことば』というコラムで、毎日一つの言葉を取り上げ解説されています。その鷲田さんが審査委員長となって、中高生自らが綴る『私の折々のことばコンテスト』を行っています。2016年度最優秀賞は、ガリタ慧くん(神奈川県・サレジオ学院中学校)の作品でした。

『ハーフ』じゃない『ダブル』だ(父)

ぼくの父はコスタリカ人だ。つまり、ぼくは「ハーフ」だ。ハーフは親のどちらかが外国人の子どものことを指す。しかし、英語でそのまま言えば「半分」だ。だから、父はこの言葉を嫌う。

「ハーフじゃない、ダブルだ!」気付けば父は、ぼくが小さい頃から言っている。ぼくが日本人×1/2なのではなく日本人+コスタリカ人なのだと自信を持たせたいのだと思う。ぼくもその気持ちに応えたい。だが、今のところはスペイン語が少しできるくらいだ。だから、これからもっとスペイン語を話せるようになりたいし、日本と同じくらいコスタリカのことも知っていたい。そして「半分ハーフ」ではなく、自信を持って「ダブル」と言えるようになりたい。

慧くんのお父さんは、日本社会で何気なく使われている「ハーフ」という言葉の底にある、違和感や差別のようなものを感じ取っているのではないでしょうか。だからこそ、慧くんにそんな差別なんか気にせず、自分を自分らしく受け入れ育ってほしいという願いをこめて、「ダブル」なんだよと呼びかけているように思います。私たちも「ハーフ」ではなく「ダブル」という言葉を大切にしていきましょう。   M.S.

有明海のほとり便り no.55

『児童虐待から考える』(杉山春著、朝日新書)を読み進めています。杉山春さんの著書は出来るだけ読むようにしています。杉山さんの昨今の取材テーマは「児童虐待」です。

虐待死させてしまった親を単に一方的に断罪するような切り口ではなく、なぜそこに至ってしまったのかということを丁寧に追求しています。一歩深く入ってみると、そこに浮かび上がってくるのは、日本社会のセーフティネットの「薄さ」です。そして、日本社会が持つあまりにも強い「家族観」が、一度離婚などに繋がっていった際に現実受容を妨げてしまうことなど、その一個人だけの課題ではないことに気付かされます。児童虐待を防いでいくためには、何よりも社会全体を変えていく必要があるのです。

また、虐待に関する研究が進み、様々なことが分かってきています。

虐待を受けた子どもたちは、記憶を司る海馬が小さくなったり、右脳と左脳をつなぐ脳漿がうすくなったりすることがわかってきた。特定の年齢に虐待を受けると、その年齢に活発化するはずのニューロンの発達が阻害される。偏りのある育ちになる。そうした器質的な脳の損傷は、実際の行動に影響を与える。虐待を受けた子どもたちが、発達障害によく似た性質を身につけることは、広く知られるようになった。

虐待的な環境を離れると、急に成長する子どもや、知的能力を取り戻す子どもたちの存在も知られている

虐待のない社会を祈り求めていきましょう。       M.S.

有明海のほとり便り no.54

熊本・大分地震から2年が経ちました。熊本、大分両県で、死者は267名。いまも仮設などの避難生活を続けている方が、38,112名にも上ります。明日は九州教区が主催して錦ヶ丘教会にて記念礼拝が持たれます。これからも祈りに覚え続けましょう。

関連記事に目を通していたら、『熊本地震2年 生き埋め5時間、奇跡の救出 3月仕事再開』(毎日新聞)が特に心に残りました。

熊本県益城町の保育士、豊世美文さん(35)は、全壊した自宅の下で生き埋めになりながら約5時間後に奇跡的に救出された。地震後に心の不調を感じ、園児に囲まれる大好きな仕事を続けられなくなったが、1年間の休養を経て今年3月に仕事を再開。生かされた命を見つめ直し、自らの人生を問い直した2年だった。

豊世さんの新たな職場での働きが守られることをお祈りすると共に、彼女のような被災体験を乗り越えた保育士と出会える子どもたちはとても幸せだと思いました。人として痛みの分かる子どもになれるのではないでしょうか。

記事の最後に彼女は、「地震で失ったものより得たものの方が大きい。生かされた命を大切にこれからも生きていきたい」と記しています。     M.S.