有明海のほとり便り no.57

5月1日から3日にかけて開かれた、九州教区総会に出席しました。私自身にとっては2回目。総会で諮られる内容自体は、どれも重要かつ深いのですが、休憩や夜の懇談会などでは、どこか祝祭的な雰囲気があり楽しいひと時でした。

議案の中に、「天皇の代替わりにともなって行われる、神道儀礼に則った一連の儀式、ことに大嘗祭に反対し、取り組みを進める」がありました。2019年に予定されている天皇の代替わり、神道に基づいた即位のための一連の様式、天皇が「神」になるとされる大嘗祭に対して反対するためであり、可決されました。

1.天皇の代替わり、ことに大嘗祭に際し、九州教区各教会・伝道所に対して取り組みを呼びかける九州教区議長の談話を公表する。

1.日本基督教団常議員会に対して、大嘗祭に反対する日本基督教団総会議長声明を公表するよう働きかける。

1.天皇の代替わり、大嘗祭を主題とした九州教区「天皇制問題学習会」を開催する。

1.各地区での取り組みを推進する。

1.取り組み報告書を作成する。

私たち日本社会に生きるキリスト者にとって天皇制は根が深い問題です。最も大きな問題点は、神ならぬものを神とする偶像崇拝を国家が強制している点にあると思います。また、イエス・キリストのみを主と告白する私たちが、戦時中は天皇も同時に崇めた歴史も覚えなければなりません。

これだけ天皇が「当たり前」の存在とされている時代ですが、荒尾教会としても教区と繋がりつつ、何らかの取り組みをしていきたいと願っています。

有明海のほとり便り no.56

朝日新聞では鷲田清一さんという哲学者が『折々のことば』というコラムで、毎日一つの言葉を取り上げ解説されています。その鷲田さんが審査委員長となって、中高生自らが綴る『私の折々のことばコンテスト』を行っています。2016年度最優秀賞は、ガリタ慧くん(神奈川県・サレジオ学院中学校)の作品でした。

『ハーフ』じゃない『ダブル』だ(父)

ぼくの父はコスタリカ人だ。つまり、ぼくは「ハーフ」だ。ハーフは親のどちらかが外国人の子どものことを指す。しかし、英語でそのまま言えば「半分」だ。だから、父はこの言葉を嫌う。

「ハーフじゃない、ダブルだ!」気付けば父は、ぼくが小さい頃から言っている。ぼくが日本人×1/2なのではなく日本人+コスタリカ人なのだと自信を持たせたいのだと思う。ぼくもその気持ちに応えたい。だが、今のところはスペイン語が少しできるくらいだ。だから、これからもっとスペイン語を話せるようになりたいし、日本と同じくらいコスタリカのことも知っていたい。そして「半分ハーフ」ではなく、自信を持って「ダブル」と言えるようになりたい。

慧くんのお父さんは、日本社会で何気なく使われている「ハーフ」という言葉の底にある、違和感や差別のようなものを感じ取っているのではないでしょうか。だからこそ、慧くんにそんな差別なんか気にせず、自分を自分らしく受け入れ育ってほしいという願いをこめて、「ダブル」なんだよと呼びかけているように思います。私たちも「ハーフ」ではなく「ダブル」という言葉を大切にしていきましょう。   M.S.

有明海のほとり便り no.55

『児童虐待から考える』(杉山春著、朝日新書)を読み進めています。杉山春さんの著書は出来るだけ読むようにしています。杉山さんの昨今の取材テーマは「児童虐待」です。

虐待死させてしまった親を単に一方的に断罪するような切り口ではなく、なぜそこに至ってしまったのかということを丁寧に追求しています。一歩深く入ってみると、そこに浮かび上がってくるのは、日本社会のセーフティネットの「薄さ」です。そして、日本社会が持つあまりにも強い「家族観」が、一度離婚などに繋がっていった際に現実受容を妨げてしまうことなど、その一個人だけの課題ではないことに気付かされます。児童虐待を防いでいくためには、何よりも社会全体を変えていく必要があるのです。

また、虐待に関する研究が進み、様々なことが分かってきています。

虐待を受けた子どもたちは、記憶を司る海馬が小さくなったり、右脳と左脳をつなぐ脳漿がうすくなったりすることがわかってきた。特定の年齢に虐待を受けると、その年齢に活発化するはずのニューロンの発達が阻害される。偏りのある育ちになる。そうした器質的な脳の損傷は、実際の行動に影響を与える。虐待を受けた子どもたちが、発達障害によく似た性質を身につけることは、広く知られるようになった。

虐待的な環境を離れると、急に成長する子どもや、知的能力を取り戻す子どもたちの存在も知られている

虐待のない社会を祈り求めていきましょう。       M.S.

有明海のほとり便り no.54

熊本・大分地震から2年が経ちました。熊本、大分両県で、死者は267名。いまも仮設などの避難生活を続けている方が、38,112名にも上ります。明日は九州教区が主催して錦ヶ丘教会にて記念礼拝が持たれます。これからも祈りに覚え続けましょう。

関連記事に目を通していたら、『熊本地震2年 生き埋め5時間、奇跡の救出 3月仕事再開』(毎日新聞)が特に心に残りました。

熊本県益城町の保育士、豊世美文さん(35)は、全壊した自宅の下で生き埋めになりながら約5時間後に奇跡的に救出された。地震後に心の不調を感じ、園児に囲まれる大好きな仕事を続けられなくなったが、1年間の休養を経て今年3月に仕事を再開。生かされた命を見つめ直し、自らの人生を問い直した2年だった。

豊世さんの新たな職場での働きが守られることをお祈りすると共に、彼女のような被災体験を乗り越えた保育士と出会える子どもたちはとても幸せだと思いました。人として痛みの分かる子どもになれるのではないでしょうか。

記事の最後に彼女は、「地震で失ったものより得たものの方が大きい。生かされた命を大切にこれからも生きていきたい」と記しています。     M.S.

有明海のほとり便り no.53

※教区東日本大震災対策小委員会の教区総会報告より抜粋

「震災から7年後ではなく、7年のいまも続いている震災です」。

「災害とではなく、災害に遭った人とどう向き合うのか」。

3月13日に持たれた東日本大震災「7年」を覚える礼拝で、説教者の庄司宜充教師(別府教会)が語ったこれら二つの言葉が胸に刺さりました。この小委員会ひいては教区として受け止めるべき問いではないでしょうか。

この間、パートナーとして支援し続けてきた「東北教区被災者支援センター・エマオ」が2018年度をもって閉じること、また熊本・大分地震への対応を教区としてこれからも継続していくことなどを合わせて考えれば、当小委員会の今後の活動については、見直しを迫られる時期に来ています。

同時に、2017年度の報告集会の参加者が7名であったことから、わたしたちの内にも拭い難く風化が始まっているのではないかと危機感を抱きます。大地震・大津波・原発事故の傷は「8年のいまも」癒えてはいないはずです。そして、放射能汚染から子どもたちのいのちを守るために、集団移転先で孤立ではなく繋がりを生んでいくために、これからもずっと取り組み続ける友が東日本にいます。10年先も20年先も、形は変わっても、祈りを絶やさず繋がり続けていくために、次年度は被災地フィールドスタディツアー、報告会、奄美での保養プログラムを予定しています。引き続きご支援下さい。     M.S.

有明海のほとり便り no.52

「神がイエスを死者の中から復活した」(ロマ10:9)という言葉は、新約聖書に残っている中でも最も古い伝承の一つだと考えられています。別の視点から言えば、キリスト教は、この一言から始まっていったのです。

この福音は、パレスチナにとどまりませんでした。東へ西へ南へ北へ、全世界へと駆け回っていき、ここ荒尾にも届きました。しかし、2000年の教会の歴史は「人間の歴史」でもありました。多くの過ちを犯し、他宗教や他文化をどこかで見下し傷つけもしました。日本キリスト教団も、荒尾教会も、私たちキリスト者も様々な課題の中で歩んでいます。何度も神の思いから外れ、罪を犯したことを告白しなければなりません。しかし、しかし。それでも神は見捨てません。復活したイエスがすべての一人ひとりと共にいて、神に向かって歩んでいくようにと、呼びかけておられます。キリスト者にも、そうでない人にも

今日、Aさんが洗礼を受けます。先週臨時役員会の場で、ある役員が「洗礼はゴールではなくスタートです」とAさんへ言われました。少しだけ加えるとすれば、キリスト者には初級・中級・上級もなく、みんなが日々同じスタートラインに立っているのです。しかも個人種目ではありません。教会の仲間たちと、地域・社会の仲間たちと、何よりも復活したイエスと手を携えていくのです。新しく一員となられるAさん、そして教会員一人ひとりと、幼稚園関係者一人ひとりと、「共に喜び共に泣く」荒尾教会を造り上げていきましょう。

イースターおめでとうございます。