『パンセ』より

 先日ある方からいただいたお手紙の中に、『パンセ』からの引用があり、とても心に残りました。『パンセ』は、フランスの思想家で科学者でもあったパスカルが、キリスト教信仰書として準備していた著作ノートをもとに1670年に出版されました。つまり遺稿集です。全体で約920篇におよぶ断想から成り立っています。研究に基づいて今なお複数の新版が出されており、断想の数や配列もそれぞれとのこと。引用は789篇(あるいは788篇)のものでした。

イエス・キリストが 人々のあいだに
知られずに とどまって おられたように
彼の真理も 普通の意見のあいだに
 外観は 何の差異もなく とどまっている。
同様に 聖体も 普通のパンのあいだに
 
As Jesus Christ remained unknown among people,
so His truth remains among common opinions without external difference.
Thus the Eucharist among ordinary bread.

 私たちは、イエス・キリストという真理が教会という場にのみあると考えがちです。けれども、日常の中に、「普通のパン」に、イエス・キリストが隠れているのです。そのささやかな神の息吹に、耳をじっと傾けなければ聴こえてこない福音に、心を開いていきたいと願っています。 (有明海のほとり便り no.111)

仙台のHさん

 仙台の友人Hさんが召天しました。

 2011年3月に、被災者支援センター・エマオが立ち上がった初期の頃からHさんは関わっていました。私がコーディネーターとして2012年春に赴任してからは、同じオフィスで5年間を共にしました。無理難題を押し付けがちな上司(?)である私に対して、Hさんは誠実に、一生懸命に応えようとしてくれていました。そうです。Hさんは何事にも一生懸命に取り組まれていました。

 そんなHさんは、市内の教会員であり、エマオスタッフの中でも一番(?)日曜礼拝を心待ちにしていました。土曜日の退勤時間(※エマオは日・月を休みにしていました)になると、Hさんは笑顔で「よい週末を!」とみんなに言ってくれていました。そこには「よい礼拝と交わりをお過ごしください!」という祝福が込められていました。

 けれども、そんなHさんも、人とのコミュニケーションにおいて難しさを抱えていたように思います。何気ない言葉のやり取りで、誤解が生じ、Hさんのリミッターが切れてしまうこともありました。よくぶつかりました。様々な弱さを抱えていたことも事実です。それはHさん自身のものというよりは、Hさんの生育環境から生み出されているもののように思います。そんなHさんだったからこそ、神さまはHさんを教会へと繋げ救って下さったのです。

 そして、そんなHさんだからこそ、Hさんはエマオのかけがえのない仲間でした。 Hさん、ありがとう。 (有明海のほとり便り no.110)

Day by day, stone by stone

 本日の説教で取り上げたいと思いつつ、きっと取り上げることが出来ないフレーズがあります。それは、使徒言行録2章46節に出てくる「毎日」という言葉と、47節に出てくる「日々」という言葉は、原文のギリシャ語を見ると同じ語が使われているという点です。本来なら、同じ日本語のフレーズに訳してほしかったのですが、なぜか変えてしまっています。

 英訳聖書(NRSV)を見ると、両方とも「Day by day」と訳されていました。そこから思い出していたのが、映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』です。アッシジのフランチェスコが、廃墟になったサン・ダミアノ教会を一人で石を積みながら直していく。そうするとその建設に、少しずつ貧しい人たちや、社会から追いやられている人たちが集まってくる。その場面で、みなで次のように歌うのです。

If you want your dream to be  Build it slow and surely.
Small beginnings, greater ends  Heartfelt work grows purely.
If you want to live life free  Take your time go slowly.
Do few things but do them well  Simple joys are holy.
Day by day,  Stone by stone,  Build your secret slowly.
Day by day,  You'll grow too,  You'll know heaven's glory.
    Donovan作詞・作曲

 私たちの歩みは本当にささやかなもので、「一日一日、石一つ一つ」とやっていくしかありません。けれども、それが確かに「神の国」の建設に繋がっていることを、覚え歩んでいきましょう。 (有明海のほとり便り no.109)

開票作業の恵み(?)

 第69回九州教区総会が福岡中部教会であり、出席しました。今回は、牧師になって初めて(!)選挙委員に選ばれたので、総会中は走り回ることになりました。議長・副議長、伝道センター委員長・常置委員・伝道センター委員など、選挙が目白押しのいわゆる「選挙総会」だったのです。

 ほとんどの教区は一泊二日で総会を行っています。短い所は日帰りの一日だけのところもあります。そのような中で二泊三日も総会を行う九州教区は、議論全体がとても丁寧なだけでなく、選挙も丁寧なのだと気付かされました。まず予備選挙を行い、所信表明を聞き、決選投票を行います。特に、所信表明を伺うことが出来ることは大きな恵みです。年に一回の総会でしか会うことのない方たちが、その役職に相応しい方かどうかを判断するのは極めて難しいからです。

 けれども、選挙委員は大変でした。6名の委員で手分けして開票作業を行いますが、1票でもミスがあったら大変です。最初は私を含めみんな慣れない中で、中々正確な結果が出せずに苦労しました。密室で行うので空気も濁り、段々疲れも出てきてグロッキー状態に…。けれども、不思議な連帯感が生まれていき、お互い最短・正確な開票作業のために知恵を出し合い、どんどんスムーズになっていきました。そして、最後に正確な結果が出たらみんなで大歓声を上げていました。 地区や出身神学校も違うと、同じ教区にいる牧師でも中々交流がないのが実情です。けれども、選挙委員を通して思わぬ出会いの喜びが与えられました。(有明海のほとり便り no.108)

キリスト教幼児教育と「産みの苦しみ」

前々任の小平善行牧師が月刊誌『信徒の友』で「みことばにきく」コーナーを担当されています。この荒尾教会が度々出てくるため、「久しぶりに小平牧師のことを思い出すことが出来た。ぜひ連絡を取りたい」と、関東にお住まいの隠退牧師の方から先日問い合わせをいただきました。ささやかな「荒尾教会ブーム」に喜んでいます。 5月号では、小平牧師はお連れ合いのことを書かれていました。

長年の身を粉にした働きにより妻は体調を崩すようになり、私は65歳で隠退することに決めました。阿蘇に近い地で妻を労い、これからはゆったりペースの伝道をと思い、隠退の1年前より移転準備を始めました。しかし、その間に妻の病状が急変し、私の辞任する1ヶ月前に召天してしまいました。このときほど、人の計画が当てにならない空しさを痛感したことはありませんでした。

この文章に続いて、小平牧師はキリスト教幼児教育に携わる保育者たちが、「子どもたちの中にキリストが形づくられるまでと祈りつつ、産みの苦しみを続けている」と指摘しています。襟を正される思いがしました。 キリスト教幼児教育においては、子どもたちの出会いを通して与えられる沢山の恵みがたしかにあります。けれども同時に、このような「産みの苦しみ」がいつもあることも事実です。荒尾めぐみ幼稚園で積み重ねられてきた70年の「産みの苦しみ」に、共に連なるものでありたいと願っています。(有明海のほとり便り no.107)

あなたの愛が 私を揺り動かす

東京・代田教会の平野克己牧師が『祈りのともしび~2000年の信仰者の祈りに学ぶ~』という本を出版されています。初代キリスト教会から始まり現代のキリスト者まで35人の祈りが集められています。

驚きとともに深い感動を覚えたのが、フランシスコ・ザビエルの祈りでした。ザビエルは1549年に日本に初めてキリスト教を伝えました。たった2年間の日本滞在だったにも関わらず、大きな影響を残しました。

主よ 私があなたを愛するのは あなたが天国を約束されたからではありません
あなたに そむかないのは 地獄が恐ろしいからではありません
主よ 私を引きつけるのは あなたご自身です
私の心を揺り動かすのは 十字架につけられ 侮辱をお受けになった
あなたの姿です あなたの傷ついた体です
そうです主よ あなたの愛が 私を揺り動かすのです
ですから たとえ天国がなくとも 主よ 私はあなたを愛します
たとえ地獄がなくとも 私はあなたを畏れます
あなたが 何もくださらなくとも 私はあなたを愛します
望みが何もかなわなくとも 私の愛は変わることはありません
ですから たとえ天国がなくとも 主よ 私はあなたを愛します
何もかなわなくとも 私の愛は変わることはありません

この祈りに込められたザビエルの信仰、そして神への信頼を荒尾教会でも大切にしていきましょう。 (有明海のほとり便り no.106)

現実的な目算ではなく

年度の変わり目には、牧師の世界でも転任が多く起こります。

カンバーランド長老教会めぐみ教会のA牧師もその一人と知り、さらに新たな赴任地が決まっていない形と知り、驚きました。A先生は東京で26年前に新規伝道を始めコツコツと種まきをされてこられた方です。直接お会いしたことは一度しかないのですが、普段、神学校でも教えられている先生が、積極的に発信しているブログはいつも読み学ばせてもらっています。教会を辞すことを記した記事の中でアブラハムについて書かれていました。それが丁度本日のメッセージで触れる同じ箇所だったのでさらに驚きました。

教会の皆さんを不安にさらしてよいのか、あなたはこの先どうするのか。そう心配してくださる方々がおられます。双方に先の保証はあるのかと言われれば、現実的な目算という意味では保証なしです。しかし、信仰とは元来そういうものではないでしょうか。アブラム(アブラハム)はハランを出発したとき75歳でした。妻がいて、実子はいないけれど甥がいて、それなりの財産を築いていました。安泰な暮らしを続けるだけの保証はあったでしょう。しかし彼は、「わたしが示す地に行きなさい」という神さまの呼びかけに従いました。どこへ行ってどう生計を立てるのかという意味では、何の保証もありませんでした。ただ「あなたを祝福する」という約束を保証として、主なる神を信頼して旅立ったのです。

https://megumiboxy.exblog.jp/27486438/

この2019年度が始まっていく中で、新たな旅路へと 導かれていったすべての人たちの歩みが守られますように。 (有明海のほとり便り no.105)

原淑美教師との再会

 よもや原淑美さんとこんな形で再会するとは。

 初めての出会いがいつだったか・・・、そうあれは20年近く前、東京・中野にある学生キリスト教友愛会(SCF)だった。その出会いから私も大学などで東京を離れ、会うことはなかった。かなり経ってから、神学校で学ぶため東京に戻った。すると、当時原教師が牧会されていた花小金井教会へ、年に一度ある神学校日礼拝に招いてもらった。本当に久しぶりの再会だった。そして、とても嬉しかった。いわゆる出身/関係神学校に縛られることなく、原教師が出会いを大切にしつつ、そして私のことを覚えていて下さっていたことを知ったから。

 それからまたしばらく会うことはなかった。けれども、時々会う本多香織教師(瀬戸内教会)から、原教師が奄美へ移住されたこと、そこから喜界教会へ赴任されたことを伺って、とても嬉しかった。あぁ大切な友が頑張っている、と。

 2年前、同じ九州教区にある荒尾教会に私も赴任することになった。九州に行ったら会いたい人リストを頭の中で勝手に作っていたが、原教師はそのトップ5に入っていた。けれども、教区総会などで顔を合わせても、お互い時間がなく中々ゆっくり話す時はなかった。

 そんな中で、9月15日・16日の喜界教会訪問が実現した。礼拝は私を含めて5名。地域の行事などが重なり欠席された方も多かったそうだが、人数は関係なかった。出席者の一人ひとりが、真剣に、真摯に、朗らかに、御言葉に耳を傾けている姿が目に焼き付いている。御言葉を、祝福を何とかお伝えする役で行った自分が、逆に出会いを通して神さまの祝福をいただいた。この出会いを、もっともっと深めていきたい。(『喜界教会通信』第11号より抜粋) (有明海のほとり便り no.104)

「僕は人間じゃないんです」

 RADWIMPS(ラッドウィンプス)というロックバンドが歌う『棒人間』。園内研修で戸田奈都子牧師(川内教会)が紹介してくれた曲です。「フランケンシュタインの恋」というドラマ主題歌に使われたそうですが、まったくテレビを観ない生活を送っている私は、初めて聴く曲で衝撃を受けました。そこに込められているのは、「僕は人間じゃないんです」というメッセージです。

ねぇ 僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい

そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても

それはそれで皆目 見当もつかないのです

見た目が人間なもんで 皆人並みに相手してくれます

僕も期待に答えたくて 日々努力を惜しまないのです

 この曲をみんなで聞いたあと、「この歌にたくさんの人たちが共感している。同じようになりたくても出来ないと感じている人たちがいる。発達障がいと共に生きる子どもたちも同じように感じているのでは」と奈都子先生は話されました。

 ぜひ一度お聞き下さい。 イエス・キリストは、この同調圧力の強い日本社会の中で、「僕は人間じゃない」と感じている人と共に歩んでいます。 (有明海のほとり便り no.103)

神さまの宝石

 第67回荒尾めぐみ幼稚園卒園式が無事終了しました。13名の卒園児が羽ばたいていきました。一人直前に気管支炎に罹った子がいたので、とても心配していたのですが、無事に出席することが出来ました。

 私にとっては試行錯誤(七転八倒?)の2年間でしたが、13名はいつも変わらずに、私の顔を見ると笑顔で飛びついて来てくれました。子どもたちに支えられていたのは自分だったことに気付かされます。そんな13名の卒園に園長として牧師として立ち会うことが出来て、感無量でした。頭では分かっています。どの子もいつかは必ず園から旅立っていくことを。けれども、この別れに慣れることはなさそうです。

 卒園礼拝において、保護者の方たちへ『置かれた場所で咲きなさい』というエッセーを書かれた、渡辺和子シスターの言葉を紹介しました。長く女子大学教えられたシスターが、学生たちに向かって必ず伝えていた言葉です。

「あなたは宝石なのです。だから自分の体も、心も、いい加減にしないで、大切に生きてください。」

 子どもたち一人一人は神さまがそれぞれのご家庭に下さった、かけがえのない宝石・プレゼントです。その大切な<いのち>を、荒尾めぐみ幼稚園に預けていただき、共に関わることが出来たことを、神さまに心から感謝していますと、伝えました。実はもう一つ付け加えたかったことがあります。保護者の方たちお一人お一人も神さまの宝石なのです、と。

 卒園していった13名、そしてご家庭のこれからの歩みが守られますように。