宣教する教会

遠くフィリピンよりShall Gapongle牧師が荒尾教会そして九州教区のために来て下さいました。荒尾教会72年間の歩みの中で、フィリピン合同教会の牧師の説教を聴く機会はおそらく初めてではないでしょうか。神さまに、そしてGapongle先生を派遣して下さった教会に、ご家族に、心からの感謝を捧げます。

先生は先住民族の出身です。礼拝出席約20名の教会に仕えつつ、同時に山岳地帯の他の先住民族の村々を粘り強く訪問し、信頼関係を構築し、そして村人たちと教会を立ち上げています。先生が九州教区の牧師向けに作成した資料の中で次のように言われています。

神学校を卒業したての多くの牧師は、より良い給料と便利さを求めて、大きな町や大規模な教会に赴任することを望みます。でも私の牧会姿勢はそれとは異なり、いつも小さな教会に赴任してきました。〈中略〉牧師が宣教活動をなしていくために十分に支えていける教会ではありません。しかし小さな教会であっても、集う信徒が心から信仰に生き、忠実に主に献げるなら、牧師の生活を支えることも、宣教と福音伝道のための活動を行うこともできるでしょう。〈中略〉宣教は止まることなく続けられなければなりません。〈中略〉宣教しない教会は既に死んでいるのです。宣教をしない教会は、存在しない教会のようなものではないでしょうか。

優しさがにじみ出ている先生の所には、言葉が通じなくとも子どもたちがすぐに集まってきました。そんなGapongle先生から発せられるこの鋭い指針を、まさに一つの小さな荒尾教会として受け止め、私たちの宣教のあり方を振り返り、造り上げていく時としましょう。 (有明海のほとり便り no.97)

ヘイトスピーチという差別

在日コリアンの方たちに対するヘイトスピーチが止まりません。

2018年1月22日、大分県大分市に住む男性が、当時15歳の中学生に向けてこんな言葉を自身のブログに投稿しました。

〈日本国内に『生息』している在日という悪性外来寄生生物種の一派〉〈チョーセン・ヒトモドキ〉〈見た目も中身ももろ醜いチョーセン人!!!〉

 凄まじい差別がここにあります。例えば九州にルーツを持つ人たちが「見た目も中身ももろ醜いキュウシュウ人!!」と言われたら、どうでしょうか。しかも、それが自分の中学生の子どもに向けられて言われたら、どうでしょうか。身体が引き裂かられるような感覚にならないでしょうか。

 しかし、この男性に対して川崎簡易裁判所が出したのは科料9000円の略式命令でした。現在の法律ではこのようなヘイトスピーチ/ヘイトクライムを想定していないのです。中学生の子は、「国がルールをつくって、もう誰も自分のようなつらい想いをすることなく、安心してインターネットを利用できる環境が整うことを願っています」とコメントを発表しています。

「在日コリアンの問題」ではなく、「日本人・日本社会の問題」です。そして、日本に生きるキリスト者が取り組むべき問題ではないでしょうか。 今日お招きした金性済先生は、私が20歳前後に通った在日大韓・川崎教会の牧師でした。在日コリアンの人権回復のために尽力する先生の姿、川崎教会に集まる赤ちゃんからご高齢の方たちまでの姿、特に青年たちの姿が、私のキリスト者としての歩みを方向づけて下さったと感じています。今日の皆さんの出会いが、そのような出会いとなりますように願っています。 (有明海のほとり便り no.96)

日本キリスト教協議会(NCC)

 次週お招きする金性済 (キムソンジェ) 牧師は、在日大韓基督教会の牧師であると同時に、現在は日本キリスト教協議会(NCC)の総幹事を担われています。NCCのことを初めて知る方も多いかもしれません。私たちの日本基督教団も所属する超教派(エキュメニカル)ネットワークです。

NCCは、教会だけの集まりでなく、教会(教団)とキリスト教関係団体を含んでいます。〔中略〕キリスト教(者)が少数者である社会の中で、教会・キリスト教関係団体が共に宣教の課題を担っていくことを目ざしています。(HPより)

 先日、カトリックの高校を出られた方とお話しをしていたら、「カトリックとプロテスタントで喧嘩をする必要はないと思います」と言われ、少しびっくりしました。私自身の中に、カトリックに対してライバル心や敵対心と言ったようなものは、まったくないからです。それも、NCCの様々な働きを通して、カトリックの方たちとの出会いを与えられたからです。

 私自身がNCCと出会ったのは18歳頃、NCCとカトリック教会などが共に憲法9条を守るために作った「キリスト者平和ネット」でアルバイトをさせてもらった時のことです。当時のNCC総幹事は大津健一牧師(元アジア学院理事長)、幹事には西原美香子さん(日本YWCA総幹事)、小泉基牧師(日本福音ルーテル健軍教会)、山本俊正教授(関西学院大学)がおられ、生意気な若造(今でも?)だった私に、キリスト教界の広がりと深みを教えて下さいました。尊敬するキリスト者そして牧師と沢山出会いました。その一人が来週お招きする金性済先生だったのです。(有明海のほとり便り no.95)

石橋議長との再会

月曜日に開かれた教区の研修会に石橋秀雄牧師(教団議長)が招かれました。3・11が起こった際、石橋先生はすぐに教団救援対策本部を立ち上げ、精力的に被災された方たちのために働かれました。私が責任を担っていた被災者支援センター・エマオにも、必ず年に何度か来て下さいました。印象的だったのは、毎年ご自身の夏休みを使って、エマオへボランティアに来て下さったことです。他の本部委員の方たちが訪問に来られることはあっても、一緒にワークに入って下さることはほとんどありませんでした。石橋先生が来られる際は、いつもエマオのスタッフを労うために食事へ連れて行って下さり、私自身もお世話になりました。その石橋先生と久しぶりの再会を二人とも(?)喜びました。

ふと届いたばかりの『教団新報』を見ると、石橋先生が巻頭メッセージを書かれていました。そこに、鈴木隆太さんという鍵盤楽器演奏者が召されたことを紹介しています。毎年、石橋先生が園長を務める越谷幼稚園でコンサートをされる繋がりで、新日本フィルのメンバーと一緒に鈴木さんは被災地に来て下さり、演奏会を開いて下さいました。素晴らしい音楽家でした。

鈴木さんの「その曲に感動し、この曲を子どもたちが聞いてくれないはずがない」との確信から演奏する姿を思い浮かべながら、説教者としての姿が問われる思いがした。私たち自身が御言葉に感動し、御言葉を語ることを何よりも喜びとし、この御言葉が聞かれないはずがないとの確信をもって語る者であるかどうか。

この問いを、私自身も大切にしたいと願っています。 (有明海のほとり便り no.94)

いずみ愛泉教会、登米教会

教会で購読している『信徒の友2月号』が届きました。「日毎の糧」というコーナーがあり、聖書日課に解説があり、さらにその日に選ばれた教会からの祈りの課題が掲載されています。日本キリスト教団、在日大韓基督教会所属の教会を、教区毎に南から北へ順にピックアップしているそうです。2月号は宮城県と福島県の教会でした。私が以前所属していた東北教区の教会です。前任地のいずみ愛泉教会もありました。そこに掲載されたほとんどの教会・牧師に出会っているので、とても懐かしく各教会の祈りの課題を読みました。説教奉仕・集会・委員会のため訪問した教会、被災者支援センター・エマオのために沢山の協力をして下さった教会がありました。

来週予定されている祈祷会においても、これらの教会のことを皆さんと共に覚えて祈りたいと思います。ここでは二つの教会の祈り課題を紹介します。

いずみ愛泉教会 「年々災害が多発しています。その度に世界中で繰り返される「核実験」の影響を考えます。地球が悲鳴を上げているのでは、と。一日も早い全世界の核廃絶を。」

登米教会 「主日礼拝を大切にする教会であるように。求道者が神に導かれて洗礼を受けられるように。登米幼稚園が神の栄光を現す幼児教育を継続して行けるように。幼稚園児、教職員の心身が支えられるように。」

登米教会では毎年2回位、説教奉仕をさせていただきました。兼牧されている友川牧師の苦労を少しでも分かち合うために、午後2時からの礼拝に、車で約1時間かけて向かいました。小さな幼稚園と教会を守り続ける信徒家族の姿に、励まされました。 (有明海のほとり便り no.93)

聖書・神学を学ぶ楽しさ

少し前の話しになりますが、11月26日~27日と教区の教師研修会がホテルセキア(南関)であり、参加しました。青野太潮先生(西南学院大学名誉教授)を招いての学びのひと時でした。青野先生は新約聖書学者であり、原始キリスト教の中でも特にパウロの十字架の神学に関する研究で著名な方です。2016年には『パウロ 十字架の使徒』(岩波新書)を発表されています。特に贖罪論に関して、非常に刺激的な問題提起をされており、議論もその点に集中しつつ膨らんでいきました。

神学校時代にその著作を数冊手に入れていたので、本棚の片隅にいつも置かれてあった先生の著作を引っ張り出し(?)、研修に持っていきました。先生は、完全原稿のレジュメを用意して下さり、見事にその主張をまとめて下さっていました。先生の論点を自分なりに理解し消化するために、私は講演を聴きつつ、聖書や持ってきた本を駆使して、大切な点に線を引き…、分団に分かれてからも全体協議でも、牧師たちから先生への質問が尽きることがなく、私も質問をさせていただき…。ふと気がつくと、知的興奮状態でした。そして、「あぁこの感覚、何か懐かしい」と思ったのです。それは、特に神学校時代に感じていた「聖書・神学を学ぶ楽しさ」でした。 仙台での5年間も含めると、牧会の現場に遣わされて7年目がもうすぐ終わり、8年目に突入しようとしています。日々与えられた課題で精一杯になり、この「楽しさ」をどこかに置いていきがちです。中々一人では難しいので、信徒の皆さんや、近くの牧師たちと読書会のようなものを開ければなぁと願っています。 (有明海のほとり便り no.92)

2019年も福音の灯火を

2019年が始まりました。

「さぁいよいよ明日から幼稚園が始まるなぁ~」と思っていた矢先に震度4の揺れがありました。皆さんの所は大丈夫だったでしょうか。今回は行いませんでしたが、今後さらに大きい地震や災害があった際は、教会から各信徒の所へ安否確認を行っていきたいと思っています。

全国から私や絆奈さんの携帯に心配の連絡が続きました。北海道、宮城、茨城、東京、静岡、兵庫、福岡…。こちらはまったく被害がなかったので、何だか恐縮しつつ、けれども久しぶりの声に逆に励まされました。

年末に、神学校時代の先輩であり、とても親しくしていたGさんより数年ぶりの電話がありました。不器用な所があり、神学校を卒業後も中々上手くいきませんでした。卒業時に合格を求められる補教師試験も一発では合格できず(ここ10年位かなり試験自体の難易度も上がっています)。一年後、私が試験を受けた時も一緒に受けたのですが、体調を崩して試験に遅刻…。一度ある教会の伝道師として働いたのですが、そこを辞めてからは、ずっと無任所教師でした。そのGさんから電話があり、この1月から赴任先が決まったとのこと。Gさんの自宅からも通える範囲にある小さな伝道所です。ただし、会員は2名で、建物の家賃支払いにも困るような財政状況です。もちろん謝儀もほとんど出ません。無い無い尽くしですが、Gさんの声には落胆ではなく不思議と召命感から来る力がありました。 Gさんが遣わされた伝道所、荒尾教会、全国の教会・伝道所・付帯施設に灯された福音の灯火が、2019年も光り輝き続けることを祈ります。 (有明海のほとり便り no.91)

「はい、ここにおります」

2018年の一年間の歩みはどうだったでしょうか。大切なことは、にも関わらず私たちを愛し(赦し)受けとめ導かれる神さまに応え続けていくことです。思想家の内田樹さんが出エジプト記の記事を通して、次のように記しています。

「すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。モーセは言った。『なぜ柴が燃えていないのか、あちらへ行って、この大いなる光景を見ることにしよう』主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた。彼は『はい、ここにおります。』と答えた。」(出エジプト記3:2-4)

「はい、ここにおります」(Me voici)というのが主の呼びかけ(vocation)に対する人間からの応答(reponse)である。人間が主の呼びかけに対して応答したことで一神教は生まれた。応答することができたのは、自分は呼びかけに遅れたと知ったからである。応答をなしうる者=責任者(le responsable)とは、主の呼びかけに応答したもののことである。

皆さんにとってこの「焼け尽きない柴」とは、「大いなる光景」とは何でしょうか。私は最近、イエス・キリストが指し示す神の国・愛のことではないかと、思うようになりました。私たちは「御国(神の国)が来ますように」と主の祈りの中で祈ります。神が実現される・されつつある国(光景)を見たいと切に祈ります。その祈りの中で、私たちは神さまからの呼びかけを聞きます。 この一年、「はい、ここにおります」と応えられた時もあれば、その呼びかけに気づきもしなかった時もありました。しかし、私たちキリスト者は、少なくとも一度はこの呼びかけに応えたことのある者たちの集いです。精一杯の応答を、これからもなしていきましょう。 (有明海のほとり便り no.90)

辺野古の痛み

 12月14日、日本政府は米軍基地建設工事のために、沖縄・辺野古で、土砂投入を始めました。私はこれまでに3回、辺野古を訪問させていただきました。とても美しい海岸でした。同時に、ヤマトが沖縄に押し付けている米軍基地という痛みを強く見せつけられた場所でした。昨日、独立学園高校出身のWさんが辺野古へ駆けつけレポートをアップしてくれました。

午前11時、土砂投入のシャッターを切った瞬間、涙が流れた。いろんな思いが混ざった涙。嫌い、大嫌い。日本政府なんか大嫌いだ。勝手に琉球を支配して、アメリカとの戦いに沖縄を捨て石にして、また日本に戻したかと思えば、米軍基地はそのまま、墜落事故・事件が起きても知らん顔・・・そして、自分たちの害の無い場所に危険なものを作り、そこに住んでいる人達の大切なものを奪っていく。〈中略〉日本政府だけじゃない。無関心な人も、同じだ。 自分のことじゃないから、知らない場所だから、害は無いから・・・。 そう言って、関心を持たない人。その無関心が誰かを苦しめている。一番嫌いなのは、自分だ。土砂が投入されるのを、ただ観てるだけの無力の自分が、自分のカメラに押さえることしか出来ない、声を出すことさえ出来ず、ただ泣いてるだけの自分が・・・。〈中略〉海保と反対行動のカヌー隊。おかしい。ぶつからなくていい人達が、ぶつかっている。海保の人だって、こんなことをするために海保になったわけじゃない。仕事のためにいるんだ。「ここにいる人たち、反対行動の人たちも、海保も工事の人も、誰も悪くない。」ってこと。

アドベントのこの時、「み国(神の国)が来ますように」という祈りをさらに深めていきましょう。 (有明海のほとり便り no.89)

サーロー節子さんの言葉

ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のサーロー節子さんがカナダ・トロントより来日され、政府関係者などに核廃絶を求め積極的な活動をされています。その合間に、母校の広島女学院(キリスト教学校)を訪問し講演されました。サーロー節子さんは、私たちと同じ日本キリスト教団の広島流川教会で受洗し、今は関係の深いカナダ合同教会に通うキリスト者でもあります。

丁寧な講演録が数葉の写真と共にHPにアップされていました。一枚の写真に、講演するサーロー節子さんの後ろに広げられた黄色の布が写っていました。そこには、広島に落とされた原爆によって殺された広島女学院の先生・生徒たち351名の名前が、同窓会の方たちによって書かれています。

女学院のクラスメイト達は雑魚場町(現国泰寺町)で作業中にほぼ全滅しました。死の淵で、米原先生と円陣を組み、讃美歌『主よみもとに近づかん』を歌いながら次々と息絶えたと知りました。女学院では351人の命が失われ、その後も生徒は病や死の不安と隣り合わせで生きてきたのです。一発の原爆は人間の尊厳も、にぎやかな家庭の営みも、一瞬でずたずたにしてしまいました。それが私にとって怒りと行動の原点となりました。〈中略〉

私は13歳の少女であった時に被爆しました。くすぶるがれきを押しのけながら光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。皆様に、広島の廃墟の中で私が聞いた言葉を繰り返したいと思います。「あきらめるな。動き続けろ。押し続けろ。光が見えるだろう。そこへ向かって這っていけ」

(有明海のほとり便り no.88)