魂の天窓

私たちは日々、沢山の非キリスト者の方たちに囲まれています。家族・親戚・友人・職場の同僚など、日本で暮らしていれば会う人のほとんどは礼拝に通ったことのない方たちばかりです。

毎週日曜日に礼拝のために教会へ通っていることを、理解してもらうのは中々難しいことで、どこか説明を「諦めて」しまっている自分にも気付かされます。

けれども、礼拝を「魂の天窓」を見つける場として捉えたら説明しやすいかもしれません。パッと効果が出るようなことは少ないかもしれません。けれども確かに、じんわりと効いてくる漢方薬のような場として。

どれだけ多くの人が、魂の天窓を失っているでしょうか。時間に追われる日々の暮らしを続けていく中で、また精神に解放感や充足感を与えてくれる娯楽には事欠かない現代社会にあって、天窓など持っていなかったとしても、すぐに生活に支障が出るなどということはないのです。最初からなかったようにさえ思われます。 …良い礼拝者とはどういう意味でしょう。それは、礼拝を切に求めている人であり、礼拝に参加することを心から望んでいる人であるということです。義務として行う礼拝ではなく、神が招き、神が聖霊の風を吹きこみ、神が祝福してくださる礼拝を心から期待している人です。

(荒瀬牧彦著「礼拝者としての牧師」『牧師とはなにか』)

礼拝に集うことは、確かに「slow-church movement」(じんわりと進む教会宣教)の核です。喜びを失わず、期待をもって礼拝に向かいましょう。 (有明海のほとり便り no.134)

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