死をも超える希望

「死をも超える希望がある」。キリスト教信仰における核の一つです。けれども実際には、なかなかどうしてこのことを受け入れるのが難しいのが、私たちの人生ではないでしょうか。

自分たちの命に…限りがある、ということは、終わりがある、ということです。そして終わりがある、ということは、始まりもあった、ということです。よく、先生、わたしは死んだらどうなるのでしょうか、という質問を受けます。そうですね、生まれる前はどうでしたか、と答えます。そう言われて、初めて気が付くのです。自分がいなかった時代があったのだ、ということです。…多くの場合に、わたしたちはそういうことを忘れて生きています。そういうことを忘れたいと思うのは、そこに希望がないと思うからです。 …我ら人間の現実の中に立たれた神さまがおられる。人が死んでその身体が腐れ果てて行くという、すべてのものが経験する厳しい現実の中にその身をさらして、わたしたち人間の怒りをご自分の怒りとして、ただひとり死の支配に対して立ち向かって行く。ここに本当の神さまの姿がある。わたしたちの神さまの姿がある。そしてこの方がいましたもう限り、わたしたちには希望がある。死んでも希望がある。聖書はそう語るのです。

吉村和雄「死を超える望みを見ながら」『説教黙想アレテイア 死に勝つ慰め』

私たち人間は、死を前にしてあまりにも知らないこと・分からないことが沢山あります。けれども、イエス・キリストの復活が示す「死んでも希望がある」ことを、ただ信じ、歩んでいきましょう。 (有明海のほとり便り no.133)

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