自分の現在地を認める

三年間を過ごした基督教独立学園高校は、山形県小国町の山奥にある小さな全寮制の学校です。一学年約25人✕3学年ですから、先生を合わせて100人位の小さな共同体です。必然的に関係も濃ゆいものになりました。特に三年間を男子寮で共にした同級生たちとは、今でもパッと一人一人の顔・姿・言動・匂い(臭い?)なんかが蘇ってきます。

先生たちの半分位が卒業生で構成されていましたが、一番予想していなかった同級生のRが大学卒業後、舎監になった時は驚きました。というのも、Rとは一緒に(?)色々やったり(悪さ?)していましたし、決して主流派(?)を行くような優等生タイプではなかったからです。最近、教頭になったと聞き、さらに驚きました。

先日、キリスト新聞の記事でRがある集会でこんな発題をしたことを知りました。

ある時、一部の生徒が寮内に持ち込んではいけないものを持ち込んだ。私は、『隠し事なく生きなさい』と言いながら、舎監室では隠れてお酒を飲んでいた。生徒の前に立ちきれない自分を感じた。認めたくない自分の現在地を認めなければいけない、そこからしか始まらない

まず前半部分の「隠れてお酒を飲む」Rの姿が、個人的には何だか想像できて、一人笑ってしまいました。けれども、後半部分の「認めたくない自分の現在地を認めなければいけない」という言葉が胸に響きました。Rのこれまでの歩み、悩み、痛み、そして信仰がここに込められています。 (有明海のほとり便り no.132)

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