キリスト教幼児教育と「産みの苦しみ」

前々任の小平善行牧師が月刊誌『信徒の友』で「みことばにきく」コーナーを担当されています。この荒尾教会が度々出てくるため、「久しぶりに小平牧師のことを思い出すことが出来た。ぜひ連絡を取りたい」と、関東にお住まいの隠退牧師の方から先日問い合わせをいただきました。ささやかな「荒尾教会ブーム」に喜んでいます。 5月号では、小平牧師はお連れ合いのことを書かれていました。

長年の身を粉にした働きにより妻は体調を崩すようになり、私は65歳で隠退することに決めました。阿蘇に近い地で妻を労い、これからはゆったりペースの伝道をと思い、隠退の1年前より移転準備を始めました。しかし、その間に妻の病状が急変し、私の辞任する1ヶ月前に召天してしまいました。このときほど、人の計画が当てにならない空しさを痛感したことはありませんでした。

この文章に続いて、小平牧師はキリスト教幼児教育に携わる保育者たちが、「子どもたちの中にキリストが形づくられるまでと祈りつつ、産みの苦しみを続けている」と指摘しています。襟を正される思いがしました。 キリスト教幼児教育においては、子どもたちの出会いを通して与えられる沢山の恵みがたしかにあります。けれども同時に、このような「産みの苦しみ」がいつもあることも事実です。荒尾めぐみ幼稚園で積み重ねられてきた70年の「産みの苦しみ」に、共に連なるものでありたいと願っています。(有明海のほとり便り no.107)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です