「はい、ここにおります」

2018年の一年間の歩みはどうだったでしょうか。大切なことは、にも関わらず私たちを愛し(赦し)受けとめ導かれる神さまに応え続けていくことです。思想家の内田樹さんが出エジプト記の記事を通して、次のように記しています。

「すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。モーセは言った。『なぜ柴が燃えていないのか、あちらへ行って、この大いなる光景を見ることにしよう』主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた。彼は『はい、ここにおります。』と答えた。」(出エジプト記3:2-4)

「はい、ここにおります」(Me voici)というのが主の呼びかけ(vocation)に対する人間からの応答(reponse)である。人間が主の呼びかけに対して応答したことで一神教は生まれた。応答することができたのは、自分は呼びかけに遅れたと知ったからである。応答をなしうる者=責任者(le responsable)とは、主の呼びかけに応答したもののことである。

皆さんにとってこの「焼け尽きない柴」とは、「大いなる光景」とは何でしょうか。私は最近、イエス・キリストが指し示す神の国・愛のことではないかと、思うようになりました。私たちは「御国(神の国)が来ますように」と主の祈りの中で祈ります。神が実現される・されつつある国(光景)を見たいと切に祈ります。その祈りの中で、私たちは神さまからの呼びかけを聞きます。 この一年、「はい、ここにおります」と応えられた時もあれば、その呼びかけに気づきもしなかった時もありました。しかし、私たちキリスト者は、少なくとも一度はこの呼びかけに応えたことのある者たちの集いです。精一杯の応答を、これからもなしていきましょう。 (有明海のほとり便り no.90)

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