サーロー節子さんの言葉

ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のサーロー節子さんがカナダ・トロントより来日され、政府関係者などに核廃絶を求め積極的な活動をされています。その合間に、母校の広島女学院(キリスト教学校)を訪問し講演されました。サーロー節子さんは、私たちと同じ日本キリスト教団の広島流川教会で受洗し、今は関係の深いカナダ合同教会に通うキリスト者でもあります。

丁寧な講演録が数葉の写真と共にHPにアップされていました。一枚の写真に、講演するサーロー節子さんの後ろに広げられた黄色の布が写っていました。そこには、広島に落とされた原爆によって殺された広島女学院の先生・生徒たち351名の名前が、同窓会の方たちによって書かれています。

女学院のクラスメイト達は雑魚場町(現国泰寺町)で作業中にほぼ全滅しました。死の淵で、米原先生と円陣を組み、讃美歌『主よみもとに近づかん』を歌いながら次々と息絶えたと知りました。女学院では351人の命が失われ、その後も生徒は病や死の不安と隣り合わせで生きてきたのです。一発の原爆は人間の尊厳も、にぎやかな家庭の営みも、一瞬でずたずたにしてしまいました。それが私にとって怒りと行動の原点となりました。〈中略〉

私は13歳の少女であった時に被爆しました。くすぶるがれきを押しのけながら光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。皆様に、広島の廃墟の中で私が聞いた言葉を繰り返したいと思います。「あきらめるな。動き続けろ。押し続けろ。光が見えるだろう。そこへ向かって這っていけ」

(有明海のほとり便り no.88)

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