田中一村、和光伝道所

奄美大島に到着した初日、田中一村記念美術館を訪問しました。絵画に疎い私は、「田中一村(1908~1977)」という名をその時、初めて知りました。南画(水墨画)の神童としていち早く活躍した一村でしたが、日本画へと画風を変えてからは、苦労と挫折が続き、その晩年に至るまで評価されることはなかったそうです。亡くなって10年が経ってからようやく再評価され「日本のゴーギャン」とも呼ばれています。

全くど素人の私にもはっきりと分かる絵の変化がありました。ハッとさせられ、魅入ったのです。それが、一村が50歳で1958年の暮れに奄美大島に移住してからの作品たちでした。

一村にとって奄美は、単なる異郷の地ではなく、自己の芸術を開花させるべき“約束の地”ではなかったか。(「田中一村考-「琉球弧」で開花した日本画-」金城美奈子)

「単なる異教の地」ではない、<いのち>の息吹に触れた瞬間でした。

国立療養所奄美和光園内にある和光伝道所も訪問しました。田中一村は、奄美和光園との出会いの中で、近くにアトリエを構えたそうです。

名瀬教会の青山実教師から、今は信徒もいなくなり、年数回の礼拝を守るのみと説明を受けながら伝道所に入ると、部屋に射し込む光、椅子の並び、講壇、その一つ一つが目に焼き付きました。<ここ>にある福音・恵み。確かに礼拝が守られていた息吹(プネウマ)。

あの息吹(プネウマ)と同じ神さまの聖霊(プネウマ)が、ここ荒尾教会においてますます強く吹くことを祈ります。(有明海のほとり便り no.85)

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