奄美で親友とまさかの再会

喜界島・奄美大島・加計呂麻島を、福島の親子短期保養プログラム下見のために訪問しました。私達の受け入れのために、奄美地区3名の教師がきめ細やかなコーディネートをして下さり、心より感謝でした。沢山のかけがえのない出会い・学びをいただきました。

日曜日夜に合流した九州教区の牧師たちの脇にふと気付くと、神奈川からYM牧師も来ていてビックリ!Mくんは年齢も同じ、神学校に入ったのも出たのも同じ、そして最初の任地が同じ東北教区という、とても繋がりが深い、「くされ縁」を感じる親友です。けれども、性格などはまったく違います。例えば神学校時代、彼はしばしば寮の部屋に引きこもっていました。その結果、多くの単位を落とすことになります。その反面、私はほとんど授業を休んだ記憶がありませんし、単位を落としたこともありませんでした。でも彼には私にはない「やわらかさ」やアンテナがあり、敬愛しています。そんな彼が、『福音と世界』10月号から、彼のアンテナを活かした連載『私はロックがわからない』を始めました。そこにこんな一文があります。

その姿は旧約聖書に出てくるヨブに重なる。なんで俺だけが苦しめられないといけないのか。〔中略〕じつは著者も最近「鬱」だと診断されて“毎日が憂鬱な悲劇”である。だが、ロックとは胸の痛みから生まれる音楽だ。このコラムでは、痛みを痛みとしてさらけ出す人たちを取り上げていきたい。

彼が自分自身の痛みをオープンに伝える姿に、「力は弱さの中でこそ十分発揮されるのだ」(IIコリ12:9)というパウロの言葉が重なります。

(有明海のほとり便り no.77)

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