有明海のほとり便り no.71

太平洋戦争終戦から73年が経ちます。先週の平和聖日礼拝では教団戦争責任告白を皆さんと告白しました。私の心に響いた一文は次のものです。

わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。

私はキリスト者として「見張り」の使命を果たしているのだろうか?荒尾教会は?日本キリスト教団は?という問いが自分自身の中にあります。

特に特定秘密保護法、集団的自衛権、共謀罪などが「着々」と可決されていく姿に、戦前というよりもむしろ「戦争前夜」に日本は突入していると私は感じています。しかし同時に、「これまで何とか戦争にならなかったのだから、これからも大丈夫だろう」と「ボケ」ている自分自身にも気付かされます。

これまで人類が経験してきた戦争で、一般市民を巻き込まない戦争はありませんでした。ましてや兵士の<いのち>を一人も奪わない戦争もあり得ません。神さまが、一人ひとりをかけがえのない命として造られたにも関わらず、私たち人間は何と容易く命を奪ってしまうのでしょうか。

そして戦争は終わってからも続きます。朝鮮を植民地支配した結果、朝鮮半島から多くの方たちが日本に来ました。強制連行された方たちも多くいます。在日コリアンとして差別され、今もヘイトスピーチのように形を変えながら差別は続いています。広島・長崎で被曝した方たちの放射能による健康被害も続いています。「従軍慰安婦」として性被害を受けた女性たちの苦しみは今も癒やされることはありません。元兵士たちのトラウマが、今になって出てきているケースもあります。

「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)という十戒を、神様からの大切なメッセージとして、もう一度胸に刻みましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です