有明海のほとり便り no.71

神学校で旧約聖書学を教わった牧野信次牧師が、『共助』というキリスト教雑誌に、1945年8月2日午前0時過ぎに7歳で体験した富山大空襲のことを記されておられました。

寝就くと空襲警報のサイレンが鳴り、避難準備をしたのですが、米軍機が上空を通過したので、もう一度床に入り寝入ってしまいました。まもなく再びサイレンが鳴り、私たちは急いで防空壕に逃げ込みました。けれどもその時はもう周囲は火の海で、母は咄嗟の判断で子供達の手を握りながら走り出しました。〈中略〉恐怖の一夜が明けて、一面焼け野原となった異様な臭いのする市内に戻ってきましたが、そこには本当に目を背けざるを得ない、悲惨な状態で、焼死体がたくさん転がっていて、赤ちゃんを抱いたままの母親の黒焦げの死体も見ました。私たちが逃げ込んだ防空壕の中の人たちは全員窒息死で、我が家も跡形もなく消えていました。あの時の呆然とした喪失感は一生消えない人生の経験となりました。父は終戦の数か月後に無事帰ったのですが、二歳の妹は薬がなくて病死しました。このような経験は、私の人間としての核となるもので、戦争はどんな理由からも絶対にしてはならないと考える根拠となっています。

牧野先生の授業では、旧約聖書のことだけでなく、ユーモア混じりに沢山の体験談を聞かせていただきましたが、富山大空襲の話しは聞いたことがなく、驚きをもって読みました。今は80歳となる牧野先生の「平和への願い」を、教え子の一人として引き継いでいきたいと願っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です