教団総会で一つの「奇跡」が!

二年に一度の教団総会が開かれました。残念ながら最近の教団総会では、4:6の状態が続いていました。私はいつも「4」の立場で、地方や社会の痛みに立って教団を一歩でも開かれたものになることを願う議案は、悉く否決されました。今回も予想通り、「4」が提案・賛同した大切な議案は悉く否決され、とても悲しくなりました。

さて、教団総会の下に三役(議長・副議長・書記)そして常議委員が置かれますが、全数連記制を「6」の方たちが通した結果、全員が「6」の方たちで「4」の立場の方は入れないという歪な構成が続いていました。

しかし、何と今回の三役選挙で思わぬことが起こりました。教団副議長に、北海教区議長の久世そらち牧師(札幌北部)が、187票で当選されたのです!2位の方とはたったの12票差、過半数を取るには181票が必要だったので大接戦です。久世先生は私たちの母教会を牧会されている方で、何よりも地方教区や社会の痛みに立ちつつ発言してきました。さらに常議員選挙においても、九州教区議長の梅崎浩二牧師(大牟田正山町)が当選されました!

それでも「4」の立場は少数ですが、今までは三役・常議員会に入ることがそもそもありえませんでした。風向きが変わってきました。「6」の方たちの中に、痛みに気づき共に歩もうという方たちが生まれてきています。

日本社会の痛みと闇が深くなる中で、教団そして私たちの教会が少しでも神さまの栄光を表すことが出来るようになることを祈ります。

(有明海のほとり便り no.82)

喜界教会訪問を通して

9月に奄美地区を訪問して、特に深く心に刻まれたのが、喜界教会との出会いでした。朝4時40分発の福岡空港行きのバスに荒尾駅で乗り込み、喜界空港に到着したのは、9時45分。到着すると原淑美牧師が迎えに来てくださいました。空港から車で2分の所に教会はありました。行くと、教会堂脇で大工さんたちが作業中。台風で屋根が飛ばされた車庫を直してもらっているとのこと。台風の脅威が、荒尾よりもずっと身近にあるのです。お連れ合いのKくんとは10数年ぶりの再会でした。その後は、喜界教会のルーツや教会墓地、信徒訪問まで同行させていただきました。

奄美地区の他教会(名瀬・瀬戸内・徳之島)に比べても、喜界教会は特に古い歴史があります。その歴史の一端に触れ、ただただ深い感銘を受けました。礼拝は私を含めて5名でしたが、忘れることの出来ない恵みをいただきました。喜界島での宣教の課題の深さと共に、喜びに触れることが出来ました。

日本キリスト教団では、今週23日から25日かけて、教団総会が東京で行われます。二年に一度、全国の諸教会から400名を越える方たちが集まり協議する重要な場です。前回までは、裏方のお手伝いとして参加していました。

その中で、残念なことに、耳を疑うような意見もありました。いま振り返れば、出会いの問題だったのだと思わされます。実際に喜界教会に出会わなければ分からないことが沢山あるように。

どうか教団総会において、深い出会いが与えられ、神さまに喜ばれる教団となっていくことができますように祈りましょう。(有明海のほとり便り no.81)

SCFで与えられた神学生同士の出会い

昨夕は大牟田正山町教会にて、特別伝道礼拝・集会の講師として東京・吉祥寺教会から招かれた、吉岡光人牧師の歓迎夕食会があり、参加させていただきました。光人先生との出会いは、私が東京・町田にある農村伝道神学校に入学して、中野にあるSCF(学生キリスト教友愛会)の学生主事をさせていただいた時に遡ります。SCFでは「聖書を読む会」「夕食会」や夏春のワークキャンプなどを大学生や20代を中心に行っています。SCFの館長は光人先生のお連れ合いである吉岡康子牧師で、大変お世話になった恩師です。SCFを主事として日々リードするのは、野田沢牧師でした。この主事を補佐する役目として学生主事があり、様々な神学生がその役を担っていました。

残念ながら、当時(おそらく今も?)は、他の神学校の学生たちと出会う機会はほとんどありませんでした。また、この日本キリスト教団の中にも「強すぎる学閥」のようなものがあり、お互いが出会う前から様々な先入観や偏見を他の神学校に対して抱いてしまうことがあります。

しかしそういった中で、私はSCFを通して、特に東京神学大学の神学生たちと出会う機会を与えられました。もちろん説教のスタイルや神学的判断において意見を異なることもありました。にも関わらず、今では各地で牧会の現場に立っているみんなが、私にとっては本当に貴重な友人たちです。光人先生との再会を通して、そのことを再確認しました。

出身神学校を大切にしつつも、「学閥」ではなく、ただキリストにある(Solus Christus)仲間として歩むことを何よりも大切にしたいと願っています。

(有明海のほとり便り no.80)

小井沼眞樹子宣教師の働きを覚えて

「世界宣教の日」とは、特に海外で働く宣教師たちのことを祈りに覚える日です。11の国々に派遣された宣教師たちは、それぞれの歴史的文脈の中で、特に日本語を母語や第2言語とする方たちと福音を分かち合い、海外教会との協力関係を築いて下さっています。

小井沼眞樹子牧師(ブラジル・サルバドール)と最初に出会ったのは、私が神学校で学んでいた頃です。眞樹子先生は「解放の神学」の授業を聴講に来られており、一緒に机を並べました。眞樹子先生は、1996年から2006年までお連れ合いの國光牧師と共に、サンパウロ福音教会に奉仕されます。國光牧師が召されてからも、「ラテンアメリカキリスト教ネット」を日本で立ち上げ、2009年からはブラジル・オリンダにある教会へ6年間遣わされました。今はサルバドールにあるヴァレリオ・シルヴァ合同長老教会に遣わされています。遠く離れているのですが、数年に一度再会する機会があり、眞樹子先生が直面されている課題は大きいはずなのに、いつも笑顔とユーモアを絶やさない姿に励まされています。眞樹子先生が次のように記されています。

人材も設備も本当に足りない小さな群れですが、この地域に暮らす人々、特に若者や子どもたちにイエスの福音をことばと実践を通して宣教したいという熱い願いを持っています。人間性を育むために必要な教育的機会や設備が何もなく、犯罪が多発する周辺環境にあって、ここに「神の国」を建設することが神のみ心と信じているからです。…どうぞ必要な人材、資金、健康が備えられますようにお祈り下さい。

各地へと派遣されている宣教師たちを祈りに覚えましょう。

(有明海のほとり便り no.79)

大牟田正山町教会との子ども合同遠足

先週は大牟田正山町教会の子どもの教会メンバーたちと、「とても」楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

まず集合場所の諏訪公園の駐車場に行ってみると、何とサッカーの試合が行われていて、急遽沿岸道路を挟んで反対側へ。行ってみると当初予定していた場所よりも人も少なく、丁度よい芝生スペースがあり一安心。荒尾教会チームは子ども6人・大人7人、大牟田正山町教会チームは子ども2人・大人11人。教会から持っていった敷物では足りず、急遽みんなの敷物を持ち寄るなど、若干(?)のハプニングはありつつも、正山町教会子どもの教会の校長であるOさんにお祈りしていただき、まずはお弁当タイム。その間に、ガムテープとマジックを配って、それぞれが名札作り。終わった頃を見計らって、自己紹介を子どもたちにしてもらいました。0歳から中学生までの幅広い層が集まりました。

早速、楽しいゲームタイム。前日、色々なアイディアを持ち寄り厳選したゲームを、荒尾教会のBくんが手書きでプログラムを作ってくれました。どっこいしょゲーム→蛙跳び競争→お菓子食い競争→おやつタイム→カエルの歌輪唱→野球→ハンカチ落とし→アブラハムダンスと、盛り沢山でした。最初は初めて会う同士でちょっと恥ずかしがっていた子どもたちも、進む中でどんどん打ち解けていきました。初めて野球に挑戦する子たちも、バットに当たったボールが遠くに飛ぶのを見て、段々誇らしげな表情に。最後のアブラハムダンスでは、みんな笑顔だけどヘトヘトに。

こんな風に、大牟田正山町教会と荒尾教会が交流できたことに、心から感謝です。歴史的な一歩だったのではないでしょうか。何よりも子どもたちが喜んでくれました。ぜひ来年度も行えるといいですね。

(有明海のほとり便り no.78)

奄美で親友とまさかの再会

喜界島・奄美大島・加計呂麻島を、福島の親子短期保養プログラム下見のために訪問しました。私達の受け入れのために、奄美地区3名の教師がきめ細やかなコーディネートをして下さり、心より感謝でした。沢山のかけがえのない出会い・学びをいただきました。

日曜日夜に合流した九州教区の牧師たちの脇にふと気付くと、神奈川からYM牧師も来ていてビックリ!Mくんは年齢も同じ、神学校に入ったのも出たのも同じ、そして最初の任地が同じ東北教区という、とても繋がりが深い、「くされ縁」を感じる親友です。けれども、性格などはまったく違います。例えば神学校時代、彼はしばしば寮の部屋に引きこもっていました。その結果、多くの単位を落とすことになります。その反面、私はほとんど授業を休んだ記憶がありませんし、単位を落としたこともありませんでした。でも彼には私にはない「やわらかさ」やアンテナがあり、敬愛しています。そんな彼が、『福音と世界』10月号から、彼のアンテナを活かした連載『私はロックがわからない』を始めました。そこにこんな一文があります。

その姿は旧約聖書に出てくるヨブに重なる。なんで俺だけが苦しめられないといけないのか。〔中略〕じつは著者も最近「鬱」だと診断されて“毎日が憂鬱な悲劇”である。だが、ロックとは胸の痛みから生まれる音楽だ。このコラムでは、痛みを痛みとしてさらけ出す人たちを取り上げていきたい。

彼が自分自身の痛みをオープンに伝える姿に、「力は弱さの中でこそ十分発揮されるのだ」(IIコリ12:9)というパウロの言葉が重なります。

(有明海のほとり便り no.77)

奄美での保養プログラムに向けて

8月2~7日、北海教区による「心と体をリラックス第12回親子短期保養プログラムin北海道」が行われ、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能汚染の影響を逃れ、6家族21名(子ども12名)が参加したことが、『教団新報』に載っていました。絆奈さんや私の母教会にもなる札幌北部教会の久世そらち牧師がそこに次のように記しています。

毎回大切にしているのが、親たちの「分かちあい」の時間。放射能の不安を抱えての日常生活の苦しさ悩み悲しみを打ち明け語り合う。家族の葛藤、周囲との軋轢、経済的困難、行政への不信、そして子どもたちへのせつない負い目と不安・・・。少なからぬ親たちが「こんな心の内を語るのは初めて」と涙する

プログラムの終わりに、「不安なく食べ、飲んだ」、「草地で転がる子どもの姿がうれしい」、「畑で泥まみれになって感激」といった感想と共に、「赤の他人にどうしてこんなに親切にしてくるのか」との感謝の言葉も。主のねぎらいを聞く瞬間だ。

このプログラムの奄美版を、2019年3月に九州教区東日本大震災対策小委員会で企画しています。今回の奄美出張はその準備のためです。と言っても、私たちだけでは何も出来ません。奄美地区に受け入れていただき、東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」に募集・コーディネートしていただき、初めて実施出来ます。このような繋がりが与えられていることに心から感謝。

何よりも原発事故で傷ついた子どもたち・ご家族が、少しでもホッと出来る保養プログラムになりますようにお祈り下さい。

(有明海のほとり便り no.76)

2つの自然災害

災害が続き、東日本大震災の時のことを思い出し、胸が痛みます。

台風21号によって、関西・北陸に大きな被害が出ました。同じ日本キリスト教団のT教会幼稚園では、9月4日(火)午後3時10分頃、突風で園舎2階の屋根がはがれました。休園にしていたため、子どもはもちろん大人にも誰も怪我はなかったそうです。

HPを見ると、荒尾めぐみ幼稚園と同じように来年度の園児募集が始まっています。幼稚園の歩みが守られることを切に祈ります。

9月6日(木)3時8分頃、震度7におよぶ北海道胆振地方地震が起こりました。死者23名、行方不明5名の人的被害が出ています。

停電などライフラインの回復にはまだ時間がかかりそうですが、教団の教会や幼稚園における被害は今の所出ていない様子です。北海教区幹事の小西陽祐牧師が発災以来精力的に被害の大きかった地域を問安し、報告を上げて下さっています。厚真町への訪問報告の中に、こんな言葉が記されていました。

土砂崩れで埋まった家の方にお話を聞き、許可を得て写真を撮らせてもらいました。その方が一言「人生がまったく狂ってしまったよ」と言われた言葉が耳から離れません。

適切な助けと支えとが、被災されたすべての方たちに届きますように。

(有明海のほとり便り no.75)

関東大震災と朝鮮人虐殺

1923年9月1日午前11時58分、関東大震災が起こり、10万人を越える死者が出ました。

大震災の混乱の中で、人々の中でデマが広まりました。「朝鮮人が暴動を起こして井戸に毒薬を投げ込んだ」、「強盗、強姦、殺人を犯している」と。これによって、「軍隊、警察だけでなく、在郷軍人会や、消防団、青年団が中心となって組織した民間人による自警団が各地で多数の朝鮮人を無差別に虐殺しました」。

一命を取り留めた朝鮮人青年たちは、学友会、YMCA、天道教青年会を中心として「罹災朝鮮同胞慰問団」を組織、虐殺の実態調査などの活動を行いました。妨害を受けて調査は困難を極めましたが、虐殺者総数約6661名という数字は、実際の犠牲者に近い貴重な記録と言われています。翌年YMCAが他団体と共同で開催した虐殺同胞追悼会は、その後も長く続けられ、今日における毎年9月1日の東京YMCAとの合同祈祷会に至っています。(在日韓国YMCA 2・8独立宣言記念資料室HPより)

災害が起こった際、問われるのは日常です。どのような関係性を普段つくってきたのか。それが排他的なものだったのか、多様性に基づいたものだったのか。残念ながら、東日本大震災の際や、熊本・大分地震の際にも、似たようなデマ・ヘイトスピーチが起こりました。まだまだ道半ばであることは確かです。

関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の歴史を忘れることなく、多民族・多文化共生型社会を祈り求めていきましょう。

(有明海のほとり便り no.74)

水口教会でのカキデン

この暑い最中、牧師館で礼拝準備をしていると、ふと思い出す光景があります。

神学校では、大体2年目か3年目の夏休み期間中に、夏期伝道実習(通称カキデン)として全国の教会へと旅立ちます。私の実習先は、滋賀県にある水口(みなくち)教会、そして附帯する水口幼稚園でした。教会堂はヴォーリズ建築(1930年)で、登録有形文化財。歴史ある教会堂の中に、一段上がって和室(今では珍しい)の集会室があり、そこで5週間寝泊まりをしました。実習中に5回日曜日がありましたが、何と4回の礼拝を担当させていただきました(一般的にここまで任せることはありません;)。

主任のT牧師には、信徒の方からの相談や、教区の様々な委員会・行事にも、必ず私を同席させて下さいました。幼稚園でもキャンプや延長保育、雑用などをアルバイトとして下さり、金銭的にも支えて下さいました。2週間を過ぎたあたりで、T牧師は夏期休暇へ。その間は、一人で電話番から週報作成、畑仕事、礼拝準備、野宿者支援と充実した時を過ごしました。その頃、教会に送った手紙を見つけました。

子どもたちも非常に喜んで遊んでいます。そのような幼稚園の姿勢に、キリスト教保育のおもしろさを実感している日々です。

もう8年前のことですが、自分自身の一つのモデルとして水口教会・水口幼稚園があることに気付かされます。神さまは不思議な導きで荒尾教会・荒尾めぐみ幼稚園へと遣わせて下さいました。あのカキデンで感じた「おもしろさ」を今また噛み締めていきたいと願っています。

(有明海のほとり便り no.73)