キリスト教幼児教育と「産みの苦しみ」

前々任の小平善行牧師が月刊誌『信徒の友』で「みことばにきく」コーナーを担当されています。この荒尾教会が度々出てくるため、「久しぶりに小平牧師のことを思い出すことが出来た。ぜひ連絡を取りたい」と、関東にお住まいの隠退牧師の方から先日問い合わせをいただきました。ささやかな「荒尾教会ブーム」に喜んでいます。 5月号では、小平牧師はお連れ合いのことを書かれていました。

長年の身を粉にした働きにより妻は体調を崩すようになり、私は65歳で隠退することに決めました。阿蘇に近い地で妻を労い、これからはゆったりペースの伝道をと思い、隠退の1年前より移転準備を始めました。しかし、その間に妻の病状が急変し、私の辞任する1ヶ月前に召天してしまいました。このときほど、人の計画が当てにならない空しさを痛感したことはありませんでした。

この文章に続いて、小平牧師はキリスト教幼児教育に携わる保育者たちが、「子どもたちの中にキリストが形づくられるまでと祈りつつ、産みの苦しみを続けている」と指摘しています。襟を正される思いがしました。 キリスト教幼児教育においては、子どもたちの出会いを通して与えられる沢山の恵みがたしかにあります。けれども同時に、このような「産みの苦しみ」がいつもあることも事実です。荒尾めぐみ幼稚園で積み重ねられてきた70年の「産みの苦しみ」に、共に連なるものでありたいと願っています。(有明海のほとり便り no.107)

あなたの愛が 私を揺り動かす

東京・代田教会の平野克己牧師が『祈りのともしび~2000年の信仰者の祈りに学ぶ~』という本を出版されています。初代キリスト教会から始まり現代のキリスト者まで35人の祈りが集められています。

驚きとともに深い感動を覚えたのが、フランシスコ・ザビエルの祈りでした。ザビエルは1549年に日本に初めてキリスト教を伝えました。たった2年間の日本滞在だったにも関わらず、大きな影響を残しました。

主よ 私があなたを愛するのは あなたが天国を約束されたからではありません
あなたに そむかないのは 地獄が恐ろしいからではありません
主よ 私を引きつけるのは あなたご自身です
私の心を揺り動かすのは 十字架につけられ 侮辱をお受けになった
あなたの姿です あなたの傷ついた体です
そうです主よ あなたの愛が 私を揺り動かすのです
ですから たとえ天国がなくとも 主よ 私はあなたを愛します
たとえ地獄がなくとも 私はあなたを畏れます
あなたが 何もくださらなくとも 私はあなたを愛します
望みが何もかなわなくとも 私の愛は変わることはありません
ですから たとえ天国がなくとも 主よ 私はあなたを愛します
何もかなわなくとも 私の愛は変わることはありません

この祈りに込められたザビエルの信仰、そして神への信頼を荒尾教会でも大切にしていきましょう。 (有明海のほとり便り no.106)

現実的な目算ではなく

年度の変わり目には、牧師の世界でも転任が多く起こります。

カンバーランド長老教会めぐみ教会のA牧師もその一人と知り、さらに新たな赴任地が決まっていない形と知り、驚きました。A先生は東京で26年前に新規伝道を始めコツコツと種まきをされてこられた方です。直接お会いしたことは一度しかないのですが、普段、神学校でも教えられている先生が、積極的に発信しているブログはいつも読み学ばせてもらっています。教会を辞すことを記した記事の中でアブラハムについて書かれていました。それが丁度本日のメッセージで触れる同じ箇所だったのでさらに驚きました。

教会の皆さんを不安にさらしてよいのか、あなたはこの先どうするのか。そう心配してくださる方々がおられます。双方に先の保証はあるのかと言われれば、現実的な目算という意味では保証なしです。しかし、信仰とは元来そういうものではないでしょうか。アブラム(アブラハム)はハランを出発したとき75歳でした。妻がいて、実子はいないけれど甥がいて、それなりの財産を築いていました。安泰な暮らしを続けるだけの保証はあったでしょう。しかし彼は、「わたしが示す地に行きなさい」という神さまの呼びかけに従いました。どこへ行ってどう生計を立てるのかという意味では、何の保証もありませんでした。ただ「あなたを祝福する」という約束を保証として、主なる神を信頼して旅立ったのです。

https://megumiboxy.exblog.jp/27486438/

この2019年度が始まっていく中で、新たな旅路へと 導かれていったすべての人たちの歩みが守られますように。 (有明海のほとり便り no.105)

原淑美教師との再会

 よもや原淑美さんとこんな形で再会するとは。

 初めての出会いがいつだったか・・・、そうあれは20年近く前、東京・中野にある学生キリスト教友愛会(SCF)だった。その出会いから私も大学などで東京を離れ、会うことはなかった。かなり経ってから、神学校で学ぶため東京に戻った。すると、当時原教師が牧会されていた花小金井教会へ、年に一度ある神学校日礼拝に招いてもらった。本当に久しぶりの再会だった。そして、とても嬉しかった。いわゆる出身/関係神学校に縛られることなく、原教師が出会いを大切にしつつ、そして私のことを覚えていて下さっていたことを知ったから。

 それからまたしばらく会うことはなかった。けれども、時々会う本多香織教師(瀬戸内教会)から、原教師が奄美へ移住されたこと、そこから喜界教会へ赴任されたことを伺って、とても嬉しかった。あぁ大切な友が頑張っている、と。

 2年前、同じ九州教区にある荒尾教会に私も赴任することになった。九州に行ったら会いたい人リストを頭の中で勝手に作っていたが、原教師はそのトップ5に入っていた。けれども、教区総会などで顔を合わせても、お互い時間がなく中々ゆっくり話す時はなかった。

 そんな中で、9月15日・16日の喜界教会訪問が実現した。礼拝は私を含めて5名。地域の行事などが重なり欠席された方も多かったそうだが、人数は関係なかった。出席者の一人ひとりが、真剣に、真摯に、朗らかに、御言葉に耳を傾けている姿が目に焼き付いている。御言葉を、祝福を何とかお伝えする役で行った自分が、逆に出会いを通して神さまの祝福をいただいた。この出会いを、もっともっと深めていきたい。(『喜界教会通信』第11号より抜粋) (有明海のほとり便り no.104)

「僕は人間じゃないんです」

 RADWIMPS(ラッドウィンプス)というロックバンドが歌う『棒人間』。園内研修で戸田奈都子牧師(川内教会)が紹介してくれた曲です。「フランケンシュタインの恋」というドラマ主題歌に使われたそうですが、まったくテレビを観ない生活を送っている私は、初めて聴く曲で衝撃を受けました。そこに込められているのは、「僕は人間じゃないんです」というメッセージです。

ねぇ 僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい

そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても

それはそれで皆目 見当もつかないのです

見た目が人間なもんで 皆人並みに相手してくれます

僕も期待に答えたくて 日々努力を惜しまないのです

 この曲をみんなで聞いたあと、「この歌にたくさんの人たちが共感している。同じようになりたくても出来ないと感じている人たちがいる。発達障がいと共に生きる子どもたちも同じように感じているのでは」と奈都子先生は話されました。

 ぜひ一度お聞き下さい。 イエス・キリストは、この同調圧力の強い日本社会の中で、「僕は人間じゃない」と感じている人と共に歩んでいます。 (有明海のほとり便り no.103)

神さまの宝石

 第67回荒尾めぐみ幼稚園卒園式が無事終了しました。13名の卒園児が羽ばたいていきました。一人直前に気管支炎に罹った子がいたので、とても心配していたのですが、無事に出席することが出来ました。

 私にとっては試行錯誤(七転八倒?)の2年間でしたが、13名はいつも変わらずに、私の顔を見ると笑顔で飛びついて来てくれました。子どもたちに支えられていたのは自分だったことに気付かされます。そんな13名の卒園に園長として牧師として立ち会うことが出来て、感無量でした。頭では分かっています。どの子もいつかは必ず園から旅立っていくことを。けれども、この別れに慣れることはなさそうです。

 卒園礼拝において、保護者の方たちへ『置かれた場所で咲きなさい』というエッセーを書かれた、渡辺和子シスターの言葉を紹介しました。長く女子大学教えられたシスターが、学生たちに向かって必ず伝えていた言葉です。

「あなたは宝石なのです。だから自分の体も、心も、いい加減にしないで、大切に生きてください。」

 子どもたち一人一人は神さまがそれぞれのご家庭に下さった、かけがえのない宝石・プレゼントです。その大切な<いのち>を、荒尾めぐみ幼稚園に預けていただき、共に関わることが出来たことを、神さまに心から感謝していますと、伝えました。実はもう一つ付け加えたかったことがあります。保護者の方たちお一人お一人も神さまの宝石なのです、と。

 卒園していった13名、そしてご家庭のこれからの歩みが守られますように。

『カール・バルト 未来学としての神学』

 神学を学ぶ時に、避けて通ることの出来ない重要科目に、「組織神学」があります。組織神学は教義学・倫理学・弁証学を含み、哲学とも深い関連があります。

 「何だか難しそうな科目だなぁ」と感じられたかと思いますが、事実、とても難しい授業でした。下田洋一牧師(中野桃園教会)が、毎回分厚い資料を用意して下さり、懇切丁寧に説明をして下さるのですが、下田先生の癒し系の声に、ふと気付けば周りのクラスメートたちはみんな船を漕いで…。今振り返れば、授業の多くが、神学者バルトが展開した「教義学」についてだったと気付かされます。バルトは一文一文が長文で、かつドイツ語からの翻訳だったので、そもそも日本語で読み深めることに限界があったようにも思います。

 最近そんな難解なバルト神学の入門書として良著が出ました。福嶋揚著『カール・バルト 未来学としての神学』です。約200頁の中に、端的に分かりやすく、バルト神学をまとめています。神学生時代にこの本に出会っていたら、バルトへの印象が変わっていたはずです。

 この本を読み改めて気付かされたのは、『教会教義学』をはじめ膨大な著作を残したバルトでしたが、単に書斎にひきこもる執筆家ではなかったという点です。むしろナチスドイツや東西冷戦などと聖書のメッセージを対峙させ神学した(doing theology)のです。バルト神学をさらに学んでいきたいと願っています。

私たちの信仰がリアルなものならば、その信仰の告白は私たちの生活の中に食い込まなければならない。(p.98)

しかし、意気消沈しちゃだめだ!絶対に!<主が支配しておられる>のだからね。(p.191)

(有明海のほとり便り no.101)

エマオで悩み、祈り、出会い

 2012年春、右も左も分からない状態で、けれども神さまからの呼びかけと信じ、被災者支援センター・エマオへと向かいました。与えられた役割は「教団派遣専従者」。初めて聞く言葉でした。「コーディネーター」として動けばよいのだと気付くにも、しばらくかかりました。どこにもロールモデルを見出すことは出来ず、まさに手探りでした。特に最初の1年は自身の力不足を痛感し、「自分は相応しくないのでは」という不安を常に抱えていました。いまも私でよかったのか、よく分かりません。

 しかしいつからか、そのことであまり悩まなくなっていきます。もちろん他の悩みは尽きませんでしたが…。いま思えば、自分がエマオの一人として、友として、被災された方たちに受け入れてもらっていることを感じるようになってからでした。エマオに来てくれるワーカーたちや、教会関係の方たちへ、私を呼んでくれた大学・高校そして教会などへ、拙い言葉でも「被災地のいま」を伝えなければと願うようになってからでした。そこに到るまで、じっくりと構え、支え祈ってくれた輪があったことに気付かされます。

 被災地で、エマオで必要だったこと、それは「孤立」ではなく「友」でした。スタッフに必要だったこと、それは「バーンアウト」ではなく「適度な休み」でした。「被災者支援」は初期の緊急支援だけでなく、忘れられがちな中長期支援も肝心であり、そこにこそ「スローワーク」の真価が発揮されるのです。

 この3月末で被災者支援センター・エマオは閉じます。この8年間の内、5年間に関わることが出来、多くの出会いが与えられました。私や家族にとって、まさに神さまが与えて下さった、かけがえのない5年間でした。 (有明海のほとり便り no.100)

2019年度に向けて~幼稚園~

幼稚園では次年度に向けて職員会議を持ち、次のようなことを分かち合いました。

◯教会幼稚園として  宮崎貞子先生は一人のキリスト者として、1946年荒尾で小さな家庭集会を立ち上げました。祈りに祈り、教会堂を建て、そして荒尾めぐみ幼稚園を始めていきました。以来、荒尾教会の牧師が幼稚園の責任を持つというスタイルで繋げてきました。それは、荒尾教会の大切な宣教の業の一つがこの荒尾めぐみ幼稚園だからです。荒尾教会と荒尾めぐみ幼稚園はキリストの一つの体であり、切り離すことは出来ません。荒尾教会員の方たちは、日々幼稚園のことを覚えてお祈りしています。

◯社会変化 2019年度は10月から保育料無償化が始まります。それに伴い、共働き家庭はますます増える見込です。特に荒尾市では0・1歳児の待機児童が発生している状況があり、しばらくはどこも未満児クラスは一杯となるでしょう。けれども、荒尾市も少子高齢化して来ていることは、皆さんも実感している所です。つまり、どこかの時点で、需要と供給は逆転し定員割れが起きていきます。日本全体では2040年には幼稚園が半分になるという予測もあります。保育園・こども園に関しても、保育に関する量的ニーズは確実に減っていきます。その中で、「質が悪くとも園児囲い込みに長けた園」として生き延びるのではなく、「小規模でも良質なキリスト教保育の認定こども園」として信頼を積み重ねていくことが、何よりも大切なことだろうと考えています。

荒尾教会幼稚園としての荒尾めぐみ幼稚園をこれからも祈り、共に歩んでいきましょう。 (有明海のほとり便り no.99)

説教を聴く恵み

 荒尾に来てもうまもなく2年が経とうとしています。仙台にいた時は、副牧師という立場でしたので、いずみ愛泉教会では月1回位の説教奉仕、他の無牧教会や小さな教会での奉仕を月数回行くというペースでした。荒尾に来てからは、毎週この荒尾教会で説教奉仕をさせていただいています。

 「神ならぬ罪深き人間が神の言葉を語る」ことが説教では求められます。その重みに打ちひしがれつつ、夜なべをして充血した目で説教台へ向かうこともしばしば(しょっちゅう?)あります。もちろん、それを遥かに越える恵みをいただきつつ。

 この2年、地区や教区の集会で「説教を聴く」ことは、いつも新鮮かつ刺激的な時でした。それが2週間続けて(!)、この荒尾教会で、「説教を聴く恵み」が与えられました。金性済先生のメッセージも、Shall Gapongle先生のメッセージも、どれも心に深く染み入るものでした。そして牧師として原点(「わたしは何を、どのように、誰に向けて語るのか」)に立ち返る導きでもありました。こんな贅沢な時が与えられたことに神様に感謝しています。ぜひ2019年度も(2週連続とはいきませんが…)、外部講師をお招きし福音の分かち合いに預かりたいと願っています。

それゆえ「神の言」としての説教を語る説教者の責任は重く、人間の内に働きかける聖霊の導きに依拠せざるをえない。説教者自身が神の救済の恵みに与りつつ、説教の委託の使命に生きることによってこそ、初めて救済の恵みについて聴衆に語ることが可能とされるのである。(関田寛雄「説教」『岩波キリスト教辞典』より)

(有明海のほとり便り no.98)