今月の聖句は、イエスが十字架に架かって殺される直前に弟子たちへ語った言葉です。家族に向けて言った言葉ではありません。性格や出身地、職業や言葉遣い、性別も違う弟子たちに向けて、イエスがあえて「互いに愛し合いなさい」と遺していったのです。
他にも聖書には「愛」についてのイエスの有名な言葉が記されています。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
でも…、果たしてこんなことが出来るのでしょうか?「敵」や「隣人」を愛し、「互いに愛し合う」…。
16世紀にスペインから日本へやって来た宣教師たちは「愛」を「御大切(おたいせつ)」と訳しました。素晴らしい訳でした。
人間は、どうしても好きになれない人、波長がまったく合わない人、顔を合わせるのも嫌な人がいます。そういった人たちを「愛する」ことは出来ないかもしれません。けれども、「大切にする」ことは出来るのではないでしょうか。100%受け入れることは出来ないかもしれません。けれども、まったく拒否するのではなく、「少しでも受け入れようとしてみる」ことは出来るのではないでしょうか。
つまり、イエスは無理して愛することを押し付けているのではなく、ゆっくり「大切にする」ことを教えているのです。
家庭での子育てあるいは園生活においても同じかもしれません。人間ですから、仕事や家事で疲れた時に、子どもの「わがまま」にじっくりと向き合い受け入れることは難しいと思います。
けれども拒否したくなるような瞬間に、「無理に愛そうとするのではなく大切にするで十分」だということを思い出して、「ほんの少し」のゆとりを持ちつつ歩んでいきたいと願っています。