久しぶりに会う友だちに、みんながワクワクしています。
4月から新たに入った子どもたちの中には、ようやく慣れてきた所での長期休みだったので、もう少し時間が必要な子どももいます。ゆっくり・じっくり・ともに歩んでいきたいと願っています。
仕事や家事で疲れている時、子どもたちが話しかけているのに、ついついスマホなどに目を向け、適当な相づちや返事をしてしまうことがないでしょうか。(私はよくあります…反省)。園生活でも、何か用事や心配事に気を取られていて、先生たちが子どもたちと向き合えていないことがあります。
「子どもたちと出会うこと、子どもたちを見ること」とはどういうことなのでしょうか?
長く松山東雲短大で教えておられた吉村真理子先生が次のように綴っています。
子どもを見るとは、子どもの遊んでいる様子をドラマを見るように興味をもってこれからどんな展開になるのかと見続けることです。できるだけ余計なおせっかいをひかえ、こちらの意図や思いつきに追い詰めないようにしたいものです。たとえ、大人の目からは良くない行為と見えても、それが発達のあらわれと見ることができます。例えば、けんかは相手の子どもに対する興味関心が深まったり、奪い合った物に対する愛着心が生まれたせいかもしれません。
保育者はどんな場面でもプラス思考で子どもの姿をとらえ、相手の気持ちに寄り添ってやりたいものです。それが心で見ることではないでしょうか。(『キリスト教保育4月号』)
この文章と出会ってから、子どもたちと一緒に遊ぶ時に、「ドラマを見るように」子どもたちを見ること・出会うことを心がけています。
すると…、すごいすごい!身体全体の動き、心の動き、豊かなドラマが展開していることに気付かされます。スマホで観るyoutube(?)よりも、もっと面白いドラマに心を向けていきたいと願っています。